新制中国の望郷編⑪ 浙江省 シャ族Ⅰ
私は、古くからの知人である、江西省社会科学院の陳文華研究員に紹介された、浙江省博物館の汪済英副館長に会い、稲作文化の発祥の地についていろいろ話し合った。
「浙江省の山の中に“先祖は犬”という民族がいます。彼らは昔からの稲作農耕民で、今でも山間部で水稲栽培をしている人々がいる。彼らは“畲(シャ)族”と呼ばれているのだが、稲作文化を研究しているのなら、ぜひ彼らの村を訪ねなさい」
私が畲族という、古来の土着民族について聞いたのは、これが二度目であった。彼に、畲族の居住地を聞いたのが、土着の越系民族である畲族の村々を訪ねるきっかけになった。
1991年4月30日、私は東京から上海経由で浙江省の温州に飛んだ。浙江省南部は山が多く、平地は少ない。飛行場には温州旅行社の尤良泛氏(29歳)が迎えに来ていたので、彼の案内ですぐにホテルに向かった。
翌日5月1日、車をチャーターして、尤さんの案内で温州から景寧に向かった。約240キロの山間の道を走り、午後6時に景寧の町に着き、人民政府招待所に泊まることにした。
夕食に出た料理で大変珍しいものがあった。中国語で“赤子魚”と書く“ワーワーユ”のスープ。現物を見せてもらうと、日本では天然記念物の大山椒魚であった。
翌5月2日は晴れていた。景寧県の人口は17万人。この頃は漢民族との混血が多くなっているが、まだ山間部には純粋な畲族が多いので、数少ない畲族自治県である。
午前10時から、私たちは5キロ離れた畲族の后降村を訪れた。景寧畲族自治県人民政府から民族事務員会主任の雷振余氏(43歳)が、現地語と漢語の通訳兼案内人として同行した。
村では村長の雷茂龍氏(43歳)の家に泊めてもうらことになった。雷氏は奥さんの藍明花さん(38歳)との2人暮らし。一人息子の雷栄宋君(18歳)は町に出て家にはいなかった。
谷間の棚田の中にある后降村は、60家族298人が住んでいる。村に入ってまず最初に困ったことは、地図の村名の呼称が違うこと。それに名前が畲族語読みと漢語読みの違い。あらゆるものに呼び名が2通りあるので、どっちにするか迷ったが、畲族語読みにすることを、通訳の尤さんに伝えた。
后降村の畲族語読みは“ロイメオルン”であるが、漢語読みは“レイモーリュウ”。この漢語というのは、共通語の北京漢語ではなく、温州漢語なのである。“畲”の発音は一般的漢語では、“シャー”なのだが、現地語では“シェ”と短く発音する。“シャ”とも聞こえるので、ここでは“シャ”とする。
2022年3月28日追記。