中国

新制中国の望郷編➉ 越王公践の“臥薪嘗胆”

1993年1月7日午前10時には雨が止んだ。2500年もの歴史がある紹興の街には、心が弾むような木々の茂る府山があり、その南麓には越王台と越王殿がある。越王勾践(在位紀元前496~465)が、閲兵したといわれる、越王台に立って南を見る。大…

新制中国の望郷編⑨ 浙江省 紹興酒のふるさと

私は、1993年1月6日、浙江省東端の寧波を夕方の5時35分の汽車に乗って去り、紹興駅には8時に着いた。プラットホームで案内人の唐毅氏(27歳)が迎えてくれ、すぐに紹興飯店に案内された。小柄な彼は、杭州大学で日本語を学んだそうで、なかなか…

新制中国の望郷編⑧ 浙江省 稲作文化の河姆遺跡跡

浙江省の東端にある寧波の町から60キロ西の河谷平原に、今から7000年前の稲作文化を伝える河姆遺跡跡がある。 河姆渡稲作文化遺跡の標識 河姆渡は余姚市内にあり、市の文物管理委員会の同行がないと現場に行くことができないので、まず80キロ西の余…

新制中国の望郷編⑦ 安徽省 銅陵

中国大陸の安微省銅陵市は、揚子江(長江)中下流域にある人口60万の工業都市。しかし、1950年頃までは、市の大半が葦原で、揚子江が増水するたびに冠水していた。 銅陵市の鉱山 周囲の山々には金・銀・銅・鉄・硫黄などの鉱物資源が豊かなため、新制…

新制中国の望郷編⑥ 安徽省 黄山

世界複合遺産としての黄山は、72の奇峰からなる中国有数の景勝地で、1990年にはユネスコの世界文化遺産及び自然遺産に登録されている。 一泊した北海賓館 黄山登山用に二人で担ぐ乗り物 二人で乗り物を担いで坂道登る人夫 岩肌の滑らかな岩山 秀麗な岩…

新制中国の望郷編⑤ 江蘇省 徐福村

江蘇省連雲港の贛楡県金山郷に徐福村がある。神仙道の修行者である“方士”であった徐福は、紀元前3世紀頃、秦の始皇帝から不老不死の“仙薬”を捜すように命じられ、山東省から東海の日本列島の方に向かって出発し、帰って来なかったことで知られている人物で…

新制中国の望郷編④ 江蘇省 蘇州

蘇州は、江蘇省南東部の長江(揚子江)三角州の中心に位置し、運河に囲まれて縦横に水路が走る町。歴史は古く、春秋時代の紀元前514年に、呉王によって都城が築かれたのが始まりとされている。当時は呉州であったが、後の隋時代の紀元589年に“蘇州”に…

新制中国の望郷編③ 山東省 孔廟

孔子生誕の地である曲阜は、山東省の西南にある済南から南へ120キロ離れた、規模の小さな町。ここは、春秋戦国時代には魯の都であった所で、約800年間栄えていたという。曲阜と名付けられたのは、隋時代の紀元596年のこと。 曲阜の孔子廟への道 曲…

新制中国の望郷編② 山東省 泰山

泰山のある泰安市は、山東省中部にある人口500万余りの町。泰山は世界の複合遺産にも登録されている世界的に有名な山。 泰山頂上からのご来光 仙人が住むと思われていた泰山頂上 早朝、泰山頂上から西を見る 泰山頂上でご来光を待つ筆者 古代においては、…

新制中国の望郷編① 山東省 蓬莱市

蓬莱市は、山東半島の北部に位置する煙台市から北西約74キロに位置し、北は渤海、南は黄海に面しており、黄渤海分界線がある。 浜辺から蓬莱閣を望む 蓬莱湾で小舟に乗って遊ぶ子供たち 黄渤海分界地点に立つ筆者 蓬莱は、古代において秦の始皇帝が訪れ、…

新制中国の望郷編 序章

はじめに 私は、1975年9月に初めて北京を訪れて以来、2018年4月までの43年間に、中華人民共和国に80回訪れ、ほぼ全省を探訪した。 1976年6月、初めて万里の長城を見学した筆者 1976年当時の長安街 1976年当時の天安門 1976年6月当時、故宮の中…

ミャンマー北部探訪㉙ ナガ族の町ラヘ 

インド東北部のナガランドを2度訪ね、民族踏査をしたたので、ミヤンマー北西部の山岳地帯にあるミヤンマー側のナガ族の町、ラヘを訪れるために、カムティを訪ねた。 カムティからラヘへの道は、山坂が多い悪路で乗り合いバスはないし、乗用車では無理だとの…

内蒙古からチベット7000キロの旅㊶ 旅の終わりに

内蒙古からラサまでの西田さんの足跡をたどる、今回の探検旅行のコースからは外れるが、中国側の車がありよい機会なので、皆で話し合ってラサから500キロも西にある、ラマ教旧経派(赤帽派)の大本山があるサキャまで行くことにした。 チベットは高山の連な…

内蒙古からチベット7000キロの旅㊵ チベットの葬式”鳥葬”

人間は自然の一部であり、生を受けた者の肉体には必ず死かある。しかし、チベット仏教では魂は屍を去り、永遠にこの世に存在し続ける。型のある肉体は必ず滅びて輪廻の自然界に組みこまれるが、魂は滅びることなく、転生して生き続けるものとされている。そ…

内蒙古からチベット7000キロの旅㊴ ラサのチョカン寺

インド亜大陸とユーラシア大陸がぶつかって隆起したのがヒマラヤ山脈である。その北側にある世界一高いといわれるチベット高原のほほ中央に位置するのかラサ。チベット自冶区の面積は130万平方キロメートルもあり、日本の3倍以上もあるが、人口はわずか…

内蒙古からチベット7000キロの旅㊳ 威風堂々のポタラ宮

ラサ郊外に入ると、急に自転車が多くなった。これまであまり見かけなかった車も目についた。自転車がたいへんな文明的な乗り物で、町に近づいた雰囲気があった。 ラサに向かうバス ラサ近くの道から見える摩崖仏 川面に映るポタラ宮 「あっ!ポタラ宮だ!」 …

内蒙古からチベット7000キロの旅㊲ 神がいる谷、ラサへ

昨夜は羊八鎮の軍の招待所に泊った。今朝は6時ごろからみぞれが降りはじめ、8時ごろから雪になった。またもや北から雪を連れてきたようである。 いよいよ今日9月21日はラサにつく日だと意気込んでいたが、雪が激しく降るので、道沿いの漢族食堂でゆっく…

内蒙古からチベット7000キロの旅㊱ ナクチューから羊八鎮へ

ナクチューを出発するとすぐに、漢名で“怒江”と呼ばれるナクチュー川があった。この川ははるか南のミャンマー(ビルマ)のモルメンまで続くサルウィン川の上流である。 道は西南の方向へ続いていた。高い山のない大地は、全体的になだらかな平原である。北チ…

内蒙古からチベット7000キロの旅㉟ アムドーからナクチューへ

タンラの峠を越すとチベットに入り、道は徐々に下っていたが、周囲は灰褐色の荒涼とした大地で、寒々としている。やはり標高4,000メートル以上は、人間にとって好ましい自然環境ではない。月の表面のような、緑のない世界を眺めるのは、もう飽きて、何の…

内蒙古からチベット7000キロの旅㉞ 魔の峠に向かって登る

翌9月18日朝、山々は白く、一夜で雪化粧となった。11時ごろ、標高4,800メートルのテーラマズの村についた。ここから標高5,321メートルもある、タンラ(チベット語のラは峠の意味)と呼がれる峠を、西川さんと同じように歩いて越すのである。 …

内蒙古からチベット7000キロの旅㉝ 死の川でヤクを追って

翌16日の朝、雪山賓館を出て、リチューと呼ばれる川沿いの道路工事事務所についたのは、午前11時すぎだった。 標高4,500メートルにあった雪山賓館 中はベッドがあるだけ 雪山賓館があった陀陀河近くの村 村の中を走るラサへの道 蒙古高原やチベット、青…

内蒙古からチベット7000キロの旅 ㉜高山病になる

9月15日、北麓川沿いを午前10時半に出発してタンブリウラ山脈を上った。岩が赤く、全体が赤っぽい山である。谷間には清流があり、真水だった。川沿いにチベット式の黒テントが8張りあった。 タンブリウラ山脈の中の道を南に向かう 標高4,700メー…

内蒙古からチベット7000キロの旅㉛ 赤い川と塩湖

9月14日の朝、不凍泉を出ると、道は南西へむかった。やがてチュマル平原に出た。北には崑崙山脈が東西に続き、南には崑崙山脈の支脈であるククシリ山脈がある。道沿いには、チルーが草をはみ、小さな穴から草ねずみか顔を出している。このねずみを狙うチ…

内蒙古からチベット7000キロの旅㉚ 崑崙山を越えて

小雨降るゴルム市を9月12日午前11時に出発し、南へむかった。道は上りになっており、やがて氷雨になった。午後1時すぎには雪になった。標高3,180メートルの地点で、東から西へ流れる赤褐色のシキンゴール川と、西から東へ流れる灰緑色のナイジゴ…

内蒙古からチベット7000キロの旅㉙ 荒野のゴルム市

ツァイダム盆地は乾燥が激しく砂漠化しているが、土壌の性質は単純ではない。砂漠、土漠、礫漠、それに低木の生えたところもある。風か強いせいで地面は土や砂がなく、小さな礫が塩で固まった平原もある。都蘭からすでに2日間走っているのだが、南に山脈、…

内蒙古からチベット7000キロの旅㉘ ツァイダム盆地の植物と刑務所

9月8日の夕方、パンテンシャンという村につき、かつてチベットのパンテン・ラマの公館であったラマ教寺院の庭にテントを張った。この寺院のそばの土の家に、もと僧であった66歳の蒙古人がいた。彼は、1959年に侵入してきた解放軍に追われて、この寺…

内蒙古からチベット7000キロの旅㉗ 茶卡(ツアカ)は「塩の税関所」

ドジヤさんたちに別れを告げ、午前9時半に茶卡(ツアカ)に向かって出発した。黒馬河平原の東方に見える山頂にはうっすらと雪があった。まだ9月7日なのだが、山頂はすでに初雪である。青海湖を見下ろしながら、大きな岩山の道を上る。峠に「橡皮山、3,…

内蒙古からチベット7000キロの旅㉖ チベット系牧民の生活

9月5日の午後、青海湖南岸の黒馬河(こくばがわ)村まできた。この村の南西の一部が平原になっており、多くの牧民たちが黒テント“バー”で生活している。私たちは、牧民であるドジャさん(74歳)一家を訪ね、2泊3日の許可を得、生活を共にすることにし…

内蒙古からチベット7000キロの旅㉕ 壁のできた草原

9月5日の朝、旅行社の招待所から西へ向かった。半島のように突き出たところを横切って江西鎮(こうせいちん)という漢族の村に着いた。1983年以前には人民公社があり、活気づいていたそうだが、今はさびれていた。 青海湖岸の道沿いにできた高さ1,5メ…

内蒙古からチベット7000キロの旅㉔ 青海湖へ

西寧を午後4時に出発し、100キロ西の青侮湖へむかった。1時間ほどで湟原の町に着いた。道はここから南へ折れた。道沿いに漢族やチベット族、土族などの村がぽつり、ぽつりと点在し、麦やエンドウ豆などの収穫期であった。道沿いの岩山に 石を積み上げた…