新制中国の望郷編 序章

はじめに

 私は、1975年9月に初めて北京を訪れて以来、2018年4月までの43年間に、中華人民共和国に80回訪れ、ほぼ全省を探訪した。

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1976年6月、初めて万里の長城を見学した筆者

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1976年当時の長安

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1976年当時の天安門

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1976年6月当時、故宮の中で並んだ紅衛兵

 日本人では広い全土を探訪した者はほとんどいないと思うが、私は、主に「日本の民族的、文化的源流を探る」をテーマにしたので、都会よりも地方、中心の漢民族よりも中国大陸東南部の、東シナ海南シナ海に近い地域に住んでいる越系民族の末裔である苗族、トン族、チュワン族、シャ族等のような少数民族が住む地域を中心に探訪した。 

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浙江省の景寧シャ族の田植え

 中華人民共和国は、一般的に“中国”と呼ばれており、4000年の歴史があると言われているが、正確には1949年10月の建国なので、まだ72年の若い国“新制中国”なのである。しかし、中国大陸に住んでいる各民族の歴史は大変古い。

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江蘇省蘇州の世界文化遺産”呉門橋”

 中華人民共和国、すなわち新制中国は、物理的には日本に近い国だが、共産主義国なので、主義思想などの面からすると遠い国である。

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山東省曲阜の孔林にある孔子墓前の筆者

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江蘇省連雲港近くの徐福故郷の徐福碑と廟

 日本の40倍以上も広い大地に、56民族、14億もの民が暮らしている国なので、捉えようがないが、古代の日本に関係があったと思われる越系少数民族の生活文化を中心に、この半世紀近くもの間に撮影した多くの記録写真を「新制中国の望郷」として簡単な文章を添えて紹介する。

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安微省銅陵近辺の稲作地帯の脱穀

 山東省、江蘇省、安徴省、浙江省福建省江西省湖南省貴州省雲南省広東省広西壮族自治区海南省等、まずは、古代日本と関わりが深かったと思われる東シナ海に近い、中国大陸東南地域のこれら12省から始める。

 34回にわたって再度紹介しますが、私が見た新制中国の知られざる有様を是非ご覧ください。  

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関心のある方は、このシリーズをまとめた拙著「稲作文化の原郷を訪ねて」を、是非ご覧ください。

2022年3月10日 追記