中国

高昌故城とアスターな古墳壁画

トルファンの町から東へ45キロの火焰山の麓にある高昌城は、前漢が紀元前68年頃、西の交河城の東師前王国に対して、屯田の兵が駐屯する要塞を設けたのが始まりであるとされている。 高昌の王城と町の遺跡についての説明版 トルファン盆地は、雨の少ない…

トルファンの交河故城

自然環境の厳しいトルファン盆地には、古代からいろいろな民族が住み、栄えては侵略を受けて滅びた国の遺跡が乾燥しているが故に今も残っている。 交河故城の入口にある案内図 交河故城への道 現在のトルファンの町の西14キロのところには、紀元前2世紀頃…

トルファンの歌と踊り

私はトルファンを1979年9月と1990年8月の2度訪れたが、トルファンを訪れると、歓迎用に必ず楽団付きの歌と踊りが催される。踊りはタンバリンを叩いてリズミカルにくるくる回るのが、ウイグルダンスの特徴。 葡萄だな下での演奏 日本からの訪中団…

トルファンのぶどう(1979年9月)

トルファン盆地は、8、9月を除いて1年中雨は降らないが、天山山脈の雪解け水を426本もの地下水溝で引いて、いつでも水が豊富であり、日照量に恵まれているので、農産物、特にぶどうには大変な好条件で育ち、トルファンの特産品になっている。 葡萄畑を…

トルファンの町の様子(1990年8月)

私は、新疆ウイグル自治区のトルファンには、1979年9月と1990年8月の2回訪れた。 新疆ウイグル自治区のトルファン駅 トルファンの漢字表記 トルファン盆地は、周りを丘や岩山に囲まれている。最も低いところは、海面下150メートルで大変暑く、…

赤褐色の火焰山(1990年8月)

私は、1990年8月に新疆ウイグル自治区のトルファンを訪れ、火焰山を見た。トルファン盆地にある火焰山は、草木の生えていない、南斜面の凹凸の襞が多い赤褐色の岩山。 トルファンから火焔山への道 遠くに見える山が火焔山 火焔山への標識 火焔山近くの…

万里の長城西端の嘉峪関(1990年8月)

私は、1990年8月、敦煌を見学した後、柳園駅から汽車で嘉峪関に向かった。 中国大陸西域の天下の関所、嘉峪関を一度見ておきたくて、単純な気持ちで訪ねた。 嘉峪関駅の標識 嘉峪関駅のプラットホームから見た嘉峪関 嘉峪関全景 嘉峪関の西側にさらに伸…

敦煌の鳴沙山と月牙泉(1990年8月)

私は敦煌には2度訪れた。2度目は1990年8月6日だった。敦煌のホテルに泊まって、翌8月7日は1日ツアーのバスで、敦煌の南約5キロの砂漠の中にあるオアシス月牙泉を訪ねた。 西安駅から乗った汽車を柳園駅で下車し、ここからバスで敦煌へ 二泊した…

上海 青年との交流(1984年10月)

10月6日朝、武漢を飛び立って、上海には昼前に着いた。上海空港でも、鳴り物入りの大がかりの歓迎行事が催された。北京、武漢、上海といずれの空港でも歓迎行事は大変華やかで、日本人の度肝を抜くように催された。 昼前に武漢から着いた上海空港 日本で…

武漢 青年との交流(1984年10月)

10月4日、我々一行は北京から武漢へ飛んだ。空港には沢山の若者たちが出ており、いろいろな行事で華やかに迎えてくれた。 武漢空港での出迎え 空港での大太鼓の演奏 空港での出迎えの人々 空港での出迎えに、小太鼓を打ち鳴らす少女たち 当日、湖北省博物…

日中青年三千人友好交流Ⅱ(1984年9月)

9月30日は、北京体育館での青少年による大歓迎会があり、歌あり、踊りあり、演舞ありで、至れり尽くせりの大変楽しい一日であった。 9月30日、北京体育館前の歓迎の様子 体育館の中 青年が手を携えて日中の平和、友好の21世紀を迎えようとの標語幕 日本人の…

日中青年三千人友好交流Ⅰ(1984年9月)

1984年(昭和59)年9月29日から10月8日までの10日間、中華全国青年連合会など、中国の3団体から招待を受けた日本の青年たち、総勢3000人に及ぶ訪中団が、北京を起点とし、西安、杭州、南京、武漢の4コースに分かれ、各地で熱烈な歓迎を…

中国内蒙古のモンゴル族⑦ モンゴル族のオボ祭(最終回)

私は、旧暦5月13日と定められた天神を祀るモンゴル族のオボ祭を参観しようと、1984年6月にまたもや内蒙古自治区を訪れた。 内蒙古のパルテルス平原 首府のフフホトから大青山を越え、モンゴル高原を北へ170キロ走ると、ハルテルス平原の中央部に…

内蒙古のモンゴル族⑥ モンゴル族の年始回り

1983年2月13日ウラントクでは、旧歴の元旦の早朝の祈りが終わると、年老いた者は横になるが、未婚の男女で気の早い者は親戚や親しい友人の家に年始回りを始める。 雪原の中の村 旧正月元旦の朝、雪原に立つ筆者 零下30℃の、肌を刺すような張り詰め…

中国内蒙古のモンゴル族⑤ モンゴル族の大晦日

1983年2月12日は旧暦の大晦日であった。私はモンゴル族の大晦日や新年の様子を見たくて、内蒙古自治区の区都フフホトを訪ねた。フフホトのホテルも役所もすべてが春節(旧正月)休みで、私1人のために2日前からホテルの料理人が3人残っていた。朝…

中国内蒙古のモンゴル族④ チリンゴルの羊飼いと馬養い

牧畜民の1日は朝が早い。昨夜ナスンさんのゲルに泊まった私は5時に起き上がった。外に出ると、ノルマさんがすでにゲルの近くで牛の乳を搾っていた。 早朝に牛の乳を搾るノルマさん 平原の日の出 朝日に映える隣の牛飼いドクルさんのゲル 夜明けの羊たち 9…

中国内蒙古のモンゴル族③ チリンゴルのゲル生活

1982年9月9日の朝、シリホトの町から東北へ100キロのチリンゴル人民公社を訪れた。ここは南モンゴル高原で最も豊かな地方で、戦後まだ外国人が一度も訪れたことがないという。 モンゴル服を着た馬上の筆者 チリンゴル人民公社の所長イエさん(50…

中国内蒙古のモンゴル族② タブシルのナダム

中国の内蒙古自治区は、日本の3倍にあたる広大な高原に約1900万人が住んでいる。大半が第2次世界大戦以後に南から移住してきた漢民族系の農耕民で、騎馬民族の末裔である。牧畜民のモンゴル族は、約200万人に過ぎない。それでもまだ自治区全体で約…

中国内蒙古のモンゴル族① モンゴル族の角力(すもう)

1982年9月初めに、中国内蒙古自治区の区都フフホトで、「全国少数民族伝統体育運動会」が開催されることを北京で知った。 全国少数民族伝統体育運動会場 アジア諸民族を踏査している私にとって、中国大陸の各民族が一堂に集まって、伝統体育を披露する…

ミャンマー北部探訪㉙ ナガ族の町ラヘ 

インド東北部のナガランドを2度訪ね、民族踏査をしたたので、ミヤンマー北西部の山岳地帯にあるミヤンマー側のナガ族の町、ラヘを訪れるために、カムティを訪ねた。 カムティからラヘへの道は、山坂が多い悪路で乗り合いバスはないし、乗用車では無理だとの…

内蒙古からチベット7000キロの旅㊶ 旅の終わりに

内蒙古からラサまでの西田さんの足跡をたどる、今回の探検旅行のコースからは外れるが、中国側の車がありよい機会なので、皆で話し合ってラサから500キロも西にある、ラマ教旧経派(赤帽派)の大本山があるサキャまで行くことにした。 チベットは高山の連な…

内蒙古からチベット7000キロの旅㊵ チベットの葬式”鳥葬”

人間は自然の一部であり、生を受けた者の肉体には必ず死かある。しかし、チベット仏教では魂は屍を去り、永遠にこの世に存在し続ける。型のある肉体は必ず滅びて輪廻の自然界に組みこまれるが、魂は滅びることなく、転生して生き続けるものとされている。そ…

内蒙古からチベット7000キロの旅㊴ ラサのチョカン寺

インド亜大陸とユーラシア大陸がぶつかって隆起したのがヒマラヤ山脈である。その北側にある世界一高いといわれるチベット高原のほほ中央に位置するのかラサ。チベット自冶区の面積は130万平方キロメートルもあり、日本の3倍以上もあるが、人口はわずか…

内蒙古からチベット7000キロの旅㊳ 威風堂々のポタラ宮

ラサ郊外に入ると、急に自転車が多くなった。これまであまり見かけなかった車も目についた。自転車がたいへんな文明的な乗り物で、町に近づいた雰囲気があった。 ラサに向かうバス ラサ近くの道から見える摩崖仏 川面に映るポタラ宮 「あっ!ポタラ宮だ!」 …

内蒙古からチベット7000キロの旅㊲ 神がいる谷、ラサへ

昨夜は羊八鎮の軍の招待所に泊った。今朝は6時ごろからみぞれが降りはじめ、8時ごろから雪になった。またもや北から雪を連れてきたようである。 いよいよ今日9月21日はラサにつく日だと意気込んでいたが、雪が激しく降るので、道沿いの漢族食堂でゆっく…

内蒙古からチベット7000キロの旅㊱ ナクチューから羊八鎮へ

ナクチューを出発するとすぐに、漢名で“怒江”と呼ばれるナクチュー川があった。この川ははるか南のミャンマー(ビルマ)のモルメンまで続くサルウィン川の上流である。 道は西南の方向へ続いていた。高い山のない大地は、全体的になだらかな平原である。北チ…

内蒙古からチベット7000キロの旅㉟ アムドーからナクチューへ

タンラの峠を越すとチベットに入り、道は徐々に下っていたが、周囲は灰褐色の荒涼とした大地で、寒々としている。やはり標高4,000メートル以上は、人間にとって好ましい自然環境ではない。月の表面のような、緑のない世界を眺めるのは、もう飽きて、何の…

内蒙古からチベット7000キロの旅㉞ 魔の峠に向かって登る

翌9月18日朝、山々は白く、一夜で雪化粧となった。11時ごろ、標高4,800メートルのテーラマズの村についた。ここから標高5,321メートルもある、タンラ(チベット語のラは峠の意味)と呼がれる峠を、西川さんと同じように歩いて越すのである。 …

内蒙古からチベット7000キロの旅㉝ 死の川でヤクを追って

翌16日の朝、雪山賓館を出て、リチューと呼ばれる川沿いの道路工事事務所についたのは、午前11時すぎだった。 標高4,500メートルにあった雪山賓館 中はベッドがあるだけ 雪山賓館があった陀陀河近くの村 村の中を走るラサへの道 蒙古高原やチベット、青…

内蒙古からチベット7000キロの旅 ㉜高山病になる

9月15日、北麓川沿いを午前10時半に出発してタンブリウラ山脈を上った。岩が赤く、全体が赤っぽい山である。谷間には清流があり、真水だった。川沿いにチベット式の黒テントが8張りあった。 タンブリウラ山脈の中の道を南に向かう 標高4,700メー…