中央アジアの石人バウバウ(1994年8月)キルギス

 1994年8月28日、中国西端の町カシュガルから、天山山脈から流れ出るトマン川の上流に向かって車で西へ進む。キルギスとの国境まで166キロ。標高3,800メートルもあるトルガルトの国境は日曜で越すことができず、国境事務所の簡易ベッドで一夜を過ごす。高地なので寒さと頭痛がひどかった。

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トルガルトの国境、左がキルギス

 キルギス共和国に入国し、木一本生えていない荒涼とした高地を走る。ナリン経由で、標高1,600メートルのイシク湖岸にある町コムソモールに着く。

長さ180キロ、幅60キロのイシク湖はまるで海だ。泳いでみると、ソーダ分が少しふくまれているが、魚はマスやコイなど数種類が棲んでおり、魚を釣る人々がいた。

 湖岸の天山山脈南麓、標高1,800mのチョルボンアタの地に、氷河の運んできた岩に描かれたサイマルタジ(岩面画)があった。灼熱の太陽に晒された玄武岩の表面が黒褐色に変形した岩面に、動物や人の姿が刻まれていた。なんでも2700~2300年も前の岩画だそうだ。

 私はコムソモールの町に3泊した。滞在中にイシク湖を見下ろす山岳地の牧畜民、ザキル・ニヤゾクさん(62)のホウズイ(移動式住居)を訪れた。彼は、三男五女の子だくさんだが、三男のタランツベクさん(22)以外はいなかった。奥さんのチュツーさん(54)は寡黙な女性だが、いろいろ世話をやいてくれ、お茶を何度も注いでくれた。

 キルギス共和国の総人口は350万人だが、キルギス系の人々は約51%で、ロシア系が29%。その他は、ウズベクやカザク系などである。キルギス系の5~7%が農民で、わずか3%が牧畜民だそうだ。

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イシク湖を見下ろす高地の放牧地

 ザキルさんは約200頭の羊をタランツベクさんと2人で放牧しているが、9月下旬の雪が降り始める前に山を下りて、低地の方へ移動するそうだ。

 昼食は、ザキルさんのボズウイの中でいただいた。最初に出たのはクウームズと呼ばれる馬乳酒で、アルコール分が11%もあった。一般的には2~3%であるが、強くて少し酸味があり、食前酒のようだった。

 チュツーさんが昼前から準備してくれたキルギス料理は、「コールダック」と呼ばれる羊肉とレバー、じゃがいもを煮たものだった。パンにその煮汁をつけて食べると食べやすく、味も良かった。ヨーグルトやバターもあり、トマトとキュウリのサラダもあった。

 夕方、町からの迎えの車がやって来たので、皆さんに礼を述べて別れを告げた。三男の妻ナジラさん(20)が、生後8か月の長男エルメック君を抱いて見送ってくれた。

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ナジラさん

 イシク湖岸から、首都ビシケックのあるチュー谷へと移動した。標高7~800mのこの広い肥沃な谷に、東北アジアからチュルク(トルコ)系の突厥が、紀元6世紀頃移住し、西突厥の王国を建て、プレイスラム文化を築いた。当時の貴族の墓に建てられた石人が「バウバウ」であり、今もまだ残っている。

 ビシケックからブラナダまで75キロ。ここには「バラサグンム城」があったが、13世紀中頃モンゴル軍に破壊された。残ったのはブラナダの塔だけで、今ではそれが地名になっている。バウバウは、バラサグンム城を中心とするチュー谷に最も多かったが、その後のイスラム教徒化した牧畜民たちが運び出して石材に使ったので数か少なくなった。そのため1970年から旧城内に野外博物館を作り、保存のため各地からバウバウを集めた。

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古い時代の画像と現存の石人

 中国大陸では、漢代に石人、石獣を墓前に置く風が起り、特に山東省や四川省に広まった。それはやがて、中国大陸の沿岸から船出して、グアム島イースター島に渡ったに違いない。

 西へは、天山山中のこのチュー谷を経て、カスピ海近辺を通り、今日のトルコまで伝播している。

 日本では、古くは五世紀頃に石人を墳丘周辺に置いたようで、特に九州の福岡・熊本・大分県の古墳に分布している。

 本来の仏教に墓はない。しかし、日本仏教には墓石まである。これは仏教以前に、石人文化が渡来していたためと思われる。

 日本の墓石や地蔵石の源流が、東北アジアの騎馬民文化である「石人」だとすれば、チュー谷のバウバウは、その石人の原型をとどめている石造文化である。

 アルタイ系の牧畜民が作ったチュー谷のバウバウには、猿のような型もあれば、地蔵のような型もある。また袈裟を身に着けた僧のようなものや、グラスを片手にした貴族然としたものもある。死者の記念石として似せて作られたとも言われているが、必ずしもそうではなく、少々変形されているようだ。古代の石人たちを眺めていると、いろいろな型や表情があり、ありし日の姿を勝手に想像し、何だか楽しくなってくる。

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チョルボンアタの”サイマルダシ(岩画)”と筆者
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ブラナダの塔と野外博物館に各地から集められた石人群と筆者