魔法のランプがあった街ヒワ(1973年9月)ウズベキスタン

 古都ヒワに、「アラビアンナイト」すなわち「千夜一夜物語」に出てくる「アラジンと魔法のランプ」のような魔法のランプが実際にあるという。それは、中央アジアの古都ヒワの古い小さなイスラム寺院の中にあるそうだ。

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ヒワの土の城壁

 私は、もしかするとアラジンの魔法のランプのような香炉に似たランプが見られるのではないかと、それこそ夢見心地で、ヒワという古い都がどんな町なのか見たくなって、1973年9月に、ウズベク共和国(当時)を訪れ、タシケントからアラル海近くのウルゲンチに飛んだ。

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ヒワ内城の入口と驢馬車

 眼下には緑のない枯れた砂の世界が続いていた。海と同じで風による波紋がついている。その中に、舗装された道が一本の黒い線のように続いている。そんな乾燥した大地に城壁に囲まれたヒワが見え、飛行機は徐々に降度を下げた。

 飛行機はアム川の水がいくつもの運河に別けられた緑地帯の中にあるウルゲンチに着いた。

 飛行機から車で約50分走ってウルゲンチホテルに着いて朝食をした。その後約30キロ南西にある砂漠の中のオアシス都市ヒワを訪れた。 

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魔法のランプがあったという古いイスラム教寺院の入口
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寺院の近くに座っていた老人と民家の入口

 人口2万5千人のヒワの町の門は、出口と入口の二門に別れている。ヒワはチャンカラという内城とでデシヤンカラという外城に分かれ、内城は四方を高さ7~8メートルの城壁で囲まれた26ヘクタールの広さだ。ヒワの古い建物はほとんどこの中にあり、街が世界的な文化遺産の博物館として保存されている。

 まず最初に、1851~53年にかけて建設されたカリタ、ミノルという塔を見た。ここはヒワホテル改修中だったが、もともとは拝火教ともいわれるゾロアスター教の死体置き場であり、火葬場として建設されたようである。

 そこから北に向かって歩くと、モンゴル帝国時代からある古い小さな寺院がある。ガイドによるとこの中に「魔法のランプ」があったそうだ。しかし、今は現物はないそうで見せてもらえなかった。なんでも盗まれて、今どこにあるかわからないそうだ。それにしても物語集であるアラビアンナイトに出てくるような「魔法のランプ」なんて本当にあったのだろうか。

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左、カルタ.ミノルの塔と右、イスラム.ホジャ塔

 そんな私の疑問をガイドさんにぶつけてみたら、次のような内容の伝説があることを教えてくれた。

 「昔々、ある商人がどこからか大きなランプを持ってきて、イスラム教徒の住むこの町の人に売った。ところが、このランプをよく見ると、十字のキリスト教のマークがついていた。そのことを知ったイスラム教のモッラー(司祭者)たちが怒って、その商人を捕まえていろいろ尋問したが、何も知らないと答えるだけであった。そこでモッラーたちはこの商人を宗教裁判にかけて殺し、そのランプをこのイスラム寺院の中に入れて密閉してしまった。それ以来、そのランプは魔力のあるものとして、一般の人の目に触れることはなくなった」

 寺院近くの日陰に座っていた老人は、今もまだこの寺院の中にあると言ったが、その真偽は分からなかった。

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ヒワの男と女の服装

 魔法のランプとは一体どんな型で、どのくらいの大きさのものだろうと思っていたが、話を聞くと、キリスト教の象徴である「十字」のマークに対するアレルギー反応の強さを表現したもので、どうもイスラム教に対するキリスト教の「のろい」の力があるランプとして取り扱われたようで、型や大きさに特徴があったわけではないそ

 のろいと言えば、その後、ヒワ汗国が起こり、約300年間も王都として栄え、フワーリズムの時代には奴隷売買が行われていた非人道的な町で、1920年代の中央アジア革命まで続いていた。当時はイスラム教の信仰中心地にもなって、寺院が94、学校が63もある、シルクロードの封建都市であった。そんなこともあって歴史博物館には当時の人身売買や街頭での首吊りなどの悲惨な風景画がたくさんあった。

 ヒワの市内には古い廟や寺院や塔や土の家が多く、どこを歩いても砂漠の中のイスラム教徒の街の臭いがする。それは、2~3百年も前の中央アジアイスラム教徒の町がそっくり残っているし、今も人が住んで日常生活を営んでいるので、まるで魔法のランプから出て来たような、過去と現代が同居したような、何とも不思議な感じのする歴史的遺産の街であった。

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ヒワ内城にたたずむ筆者