ユーラシア大陸横断鉄道の旅㉛ モスクワ→ワルシャワ(ポーランド)

 5月10日午後2時半、ワルシャワ行きの国際列車の発着駅であるベラルースキー(白ロシア)駅に着く。大きな駅で入口が2ヵ所あり、人が多い。特に2番ホームのワルシャワ行きのプラットホームは、たくさんの荷物を持った人で混雑している。

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ベラルースキー駅

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ベラルースキー駅入り口

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ベラルースキー駅前広場

 駅員に尋ねると、ワルシャワ行きの列車は、昨年までの1日3本が今年から6本に増便になったというのに、何と向こう40日まで予約で満席だという。

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国際列車「スラッシュ290号」の機関車

 ワルシャワ行きの国際列車「スラッシュ290」の車両はポーランド製の2人用と4人用のコンパートメントがあるが、ほとんどが2人用で「ワゴン」と呼ばれている。私が乗った227号4番の2人用の部屋に相客はいなかったが、乗客のほとんどがロシア人の「担ぎ屋」で、各部屋は荷物が溢れんばかりになっている。

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荷物をたくさん持った担ぎ屋たち

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モスクワ‐ワルシャワ間の国際列車「スラッシュ290号」

 ロシアの貨幣ルーブルは、ソ連時代には1米ドルが1ルーブルであったが、今では110ルーブルだ。国内はインフレで物価が高くなっているが、外貨では10分の1である。

 例えば、モスクワで110ルーブルのワイシャツが、ポーランドワルシャワでは10米ドル(1100ルーブル)で売れる。その代金を米ドルで持ち帰れば、1米ドルが闇値で1500ルーブルにもなる。そのため、知人、友人、親族一同が金を出し合って商品を仕入れ、ワルシャワへ運ぶ「国際的担ぎ屋」が横行しており、外国人はほとんど飛行機でしかワルシャワに行けない現状なので、私が乗れたのは珍しいことだそうだ。

 私がプラットホームで撮影していると、車掌が手を振って合図したので急いで乗ると、発車のベルはなく、定刻の3時20分にガタンと音高く動き始めた。

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私が乗車したワゴン内

 モスクワ郊外に出ると、アカマツやカラマツ、モミ、シラカバなどの林が続いた。沿線の風景はどことなく淋しい。駅の建物や家々は古び、鉄製の建物は赤茶け、土地の使い方がいいかげんで畑は荒れている。

 午後7時15分、ビヤズマ駅に着くと、列車の客に物を売るため、老若男女が手に物を持ってプラットホームに溢れ出た。

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ビヤズマ駅

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プラットホームでビールを売る少年

 レモネード、ミネラルウォーター、ビール、ウォッカ、タバコ、ライター、カメラや大工道具などを掲げ、商品名を連呼しながら歩いている。カバンの中からシャンパンの頭だけ出し、そしらぬ風で歩いている者もいる。一番元気なのは子どもたちだが、彼らの瞳には安らぎがない。しかし、表情は明るい。ロシアの豊かな大地は、この子らを見捨てることはないだろう。

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車窓から眺めた夕暮れ

 午前1時半に目覚めると、ベラルーシミンスク駅に止まっていた。車掌に水を頼むと、冷たいミネラルウォーターを1本持って来てくれたが無料だった。カザクスタン号の車掌とは雲泥の差で、明るくサービスがいいし、写真もご自由にといって、記念撮影までしてくれた。しかし、後で見ると手ぶれがしてボケていた。

 5月11日早朝、車掌が扉を叩く音で目覚め、間もなく国境のブレストに着く。税関吏と出入国管理官が1部屋ずつチェックする。

 ここはベラルーシポーランドとの国境。ソ連が崩壊して独立国になったばかりなので、ロシアとの区別が明確ではない。食堂車より前の11両はポーランドの車両、後の5両はロシアの車両なので、ここで切り離す。外は寒く、吐く息が白いが、中は暖房で暖かい。

 午前6時15分、車両の台車交換のため車庫に入った。乗客はそのまま車内にいるが、私は外に出て交換風景を撮影した。フラッシュを付けたので現場の人が嫌がり、2枚で止めた。

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ベラルーシポーランドの国境での台車交換

 7時5分、台車交換を終えて出発し、やがてロシア文字ではなくローマ字で“Brest”と書かれた、ポーランド側の駅に着いた。国境をはさんだ同じ町のようだが、時差が1時間あるので7時20分を6時20分に変更する。

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ブレスト駅のプラットホーム

 ポーランドへ入国し、太陽が地平線を離れ、緑の大地が輝いている。朝の農村は静かで落ち着いているようだし、ロシアよりも民家が大きく、様々な形をし、農地はよく整備されていて美しい。ポーランドは、やはりロシア圏ではなく欧州側なのだ。

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早朝のポーランドの村

 7時40分、入国管理官が車内にやってきたが、パスポートを見ただけ。8時半、最初の駅、“SLEDLECE”着。モスクワからの担ぎ屋の一部が荷物をたくさん持って降りた。

 列車は麦畑の続く農村地帯を走る。線路沿いの墓地には、墓石に十字架を刻んだものが並んでいる。ポーランドカトリック系の強い国で、共産主義政権下で宗教活動がわずかに容認されていた唯一の国であった。

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ワルシャワ郊外で見たカトリック系の墓地

 午前9時、何の説明もなく駅でない所に停車する。線路沿いにライラックやスモモの白い花が咲き、土筆やタンポポが生えていた。農家からの鶏の鳴き声が聞こえる。どこかでスズメの鳴き声もする。

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線路沿いのスモモの白い花咲く村

 驚いたことに窓が開いた。当たり前のことなのだが、北朝鮮以来、中国、カザク、ロシアと続けて来た長い旅の間、窓が開かないようになっていた。開けられたことが嬉しく、快感であった。

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ワルシャワ近く、線路沿いの村

 列車は間もなく発車し、東ワルシャワに9時半に着いた。ここで、モスクワからの担ぎ屋の多くが下車した。プラットホームでは、「売りたいものはないか」とか「アメリカシガレットを買うよ」などと大声で叫ぶ人がいた。

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ワルシャワ駅で下車した担ぎや

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ワルシャワ駅のプラットホーム

 10時5分、ワルシャワの中央駅着。時計を見ると9時5分であった。不思議に思って駅員に尋ねると、モスクワとは2時間、ベラルーシとは1時間の時差だった。私はベラルーシ時間に合わせていた。

 プラットホームは、担ぎ屋でごった返していた。センターホールに出ると、天井が高く広々として明るかった。換金を済ませ、駅のビュッフェでコーヒーとパンの朝食をとる。

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ワルシャワ駅のセントラルホール

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ワルシャワ駅のビュッフェー

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ワルシャワ駅舎

 駅からタクシーでビクトリア・ホテルへ向かう。料金は何と7万ズロチ。桁が大きいのだが、換算すると700円であった。

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ワルシャワの食堂での筆者