ユーラシア大陸横断鉄道の旅㉞ ベルリン→フランクフルト
5月13日、午前6時に起床し、ホテルから歩いて10分ほどのツオ駅に行く。以前ベルリンを訪れた時、小さな駅に過ぎなかったが、今は駅ビルが建ち、大変モダンになっている。プラットホームは2本だが、西ベルリン当時から中心街に最も近い、国際列車の発着駅であった。
窓口を訪ねて「ユーレイルパス」の使用開始のスタンプを押してもらう。ユーレイルパスとは、欧州16ヶ国を1カ月間自由に汽車旅行のできるフリーパス。西ヨーロッパで安く旅行するため、日本で買っておいた。
フランクフルト行は2階の4番ホーム。プラットホームで若い女性駅員に尋ね、32番で待つ。
7時40分、汽車はプラットホームに入り、44分の定刻通りに発車。発車のベルや放送などなく、静かな出発。
しばらく街中を走る。レンガ造りの住宅が続き、ライラック、サクランボ、スモモ、桃等の花が咲き、シラカバの淡い緑の新芽が美しい。ここにも春が訪れ、草木の語らいが聞こえるようだ。
やがて高速道路と平行に走る。車とほぼ同じようなスピードだが、汽車の方がやや速い。汽車はガタンゴトンという、線路の継ぎ目で発生する音がなく、大変静かで、左右の揺れも少ない。
8時から食堂車で朝食をとる。パン・ジャム・バター・コーヒー、ヨーグルトがセットされていて14・8マルク(1200円)。食事中にもほとんど振動は感じられず、コーヒーさえ揺れなかった。
コンパートメントは禁煙になっており、3人掛けの6人部屋。やはり客が少なく、4人しかいない。通路側もガラス張りであり、窓は大きく明るいが開かない。窓側に座って外の光景を見る。花と緑が美しく、タンポポの黄色い花が多いのには驚かされた。
ベルリンの街を出て間もなく、松や樺の林の中に湖があり、たくさんのヨットが係留されていた。9時27分、マクトボイカル駅で3分間停車し、放送があってから1分後に発車した。
線路沿いにはサクランボの木が多くなった。すでに花は散っている。これから少しずつ南に下って行くので、行く先々の春はすでに満ち満ちているのだろう。
10時22分、ヘルムステド駅に着く。ここから電気機関車になる。10分ほど停車するので、プラットホームに降りた。ガラス張りの売店では商品がきれいに陳列され、便利で衛生的だ。大変合理的ではあるが、中央アジアのような人間味やゆとりが少ない。フランスの哲学者テガルトは「近代化とは合理主義であり、欲望的人間に対応すること」と言っている。
出発案内の放送があり、しかも、出入り口の扉の内側で「ピーピーピー」と音がしてから閉まる。すべて自動だが、扉の内と外に青と赤のボタンがあり、緊急時には青を押すと開くようになっている。
ヒゲ面で眼鏡をかけた太った車掌が乗車券を調べに来たが、ユーレイルパスをちらっと見ただけで返してきた。
11時過ぎ、ブラウンシュウェイグを過ぎたあたりから、旧西ドイツに入ったのか、大地がよく整地され、耕作されていた。村も大きく、家々の屋根はカラフルで明るい。畑の隅々まで耕し、大地の価値を高めている農民の心意気が感じられ、農業国としてのドイツの一面が窺われる。
11時30分、ハイデシェイム駅に着く。ここからドイツは昨年、ハンブルグーミュンヘン間951キロを7時間27分で走るICE(インターシティーエクスプレス)を登場させた。時速170キロで「シャー」という快音を発しながら走る。
向かいの座席の上の鏡を見ると、私の頭上の荷物棚が見えるようになっている。こんなところにも細かな配慮がされていた。
起伏のゆるやかな大地には、青い麦畑や黄色い花が咲いている菜種畑が広がっている。牛や羊が草をはむ牧草地、赤褐色の屋根に白い壁の家々。春たけなわのドイツの自然は、心を弾ませてくれる。
12時3分、ゲッチンゲン駅着。2分停車して発車。天気がよくなり青空が広がっている。冷暖房は窓側のボタンで自由に調整できる。
12時30分、カセル駅を過ぎる。もうかなり南に下がったようで、新緑の草木が目に心地よい。フルダに午後1時に着く。しばらく走ると、白と褐色の大きな盛土があった。石灰でも掘っているのだろうか。汽車は、カシ、ブナ、アカマツ、樺などの林の中を走る。
この汽車は速い。駅に停車しても2分間くらいなので、せわしくなく、面白味がない。ただひたすら目的地に向かって快走するだけ。
目的地のフランクフルト駅には定刻の午後1時58分に到着した。私は、1時間の待ち合わせで、パリ行きの汽車に乗り継ぐことになっているので、構内で待つことにした。