ユーラシア大陸横断鉄道の旅⑳ 嘉峪関→烏魯木斉(ウルムチ)
12時55分、嘉峪関駅を出発。河西回廊を汽車で旅しているにふさわしい情景、天下の嘉峪関を北側の車窓に眺める。
午後1時3分、嘉峪関からさらに西へ伸びている崩れかけた長城を横切る。長城の先には狼煙台があるが、もう万里の長城の観はなく風砂にさらされて小さくなった土の壁が続いている。
1時36分、玉門駅に着く。プラットホームで食料を買い込む。1食くらい抜かしてもと思ったが、空腹だとやはり落ち着かない。
乾燥しているので生ぬるいビールでも、けっこう味がよく飲める。午後3時頃から急に陽ざしが強くなり、車内が暑くなった。湿度は20%以下で、鼻の粘膜が渇いて痛む。タオルを濡らして鼻に当てるが、すぐに乾いてしまう。
中国の汽車旅行ではお茶の葉は携帯必需品。部屋ごとに大きなポットがあり、車掌が2、3時間ごとにお湯を足しに来る。日本の繊細な茶葉の味は良いが、すぐに出がらしになる。中国の茶葉は大きく粗雑だが3回は充分使える。脂っこい食物や乾燥地帯では、やはり中国の茶葉が合っている。
嘉峪関を過ぎて5時間半たったが、線路沿いの荒野に散乱するゴミは相変わらず多い。6時過ぎ、果てしもなく広がる平原を見ながら食堂車で夕食をとる。脂っこい中国料理にはいささか食傷気味だが、やはり食事が一番の楽しみ。
6時50分、柳園駅着。100人ぐらいの乗客が降りる。柳園は標高1800メートルの荒野にある、人口7000人の小さな町。しかし、敦煌に行くにはここで下車してバスを乗り継いで、南へ120キロ進まねばならない。
世界最大の画廊といわれる莫高崫である敦煌とは「盛大」という意味だそうだ。漢・唐時代には、東西に行き交うシルクロードの隊商も使臣も必ず通過するオアシスの町であった。今では、毎年80万人もの観光客が訪れるとのこと。
柳園には20分停車し、さらに西へ向かう。午後8時になってもまだ明るい。西へ向かう鉄道の旅は、1日が長く、太陽に追いすがるような思いがする。しかし、今日は地平線に雲があり、大平原の彼方へ沈み行く夕陽は見られない。
4月28日午前6時50分、トルファン盆地に夜明けが訪れた。汽車は東部天山山脈の南麓を走っている。冠雪の天山の尾根が朝日に紅く映える。やがて、暗かった大地に朝日が差し、広いトルファン盆地が遥か遠くまで見渡せ、古代と変わりない雄大な大地が広がる。トルファン盆地の大半が海抜零メートル地帯で、最も低い所が海面下150メートルだそうだ。
中国大陸は東西に5000キロもあるので、東の上海で日の出を迎えるころ、西の烏魯木斉(ウルムチ)では真夜中。しかし、時計はすべて北京時間である。
新疆省はユーラシア大陸の中心に当たり、北にアルタイ、中央に天山、南に崑崙の3大山系を擁し、北にジュンガル、南にタリムの2大盆地を抱いている。天山山脈は、東西1700キロ、南北300キロも続く、中央アジア最大の山群である。
7時50分、トルファン駅着。早朝だが下車する人が多いので、カメラ2台持ってプラットホームに降りた。空気が冷たく、風が強い。デニムのシャツを着ているだけなので、撮影前に寒さで身が震え、鳥肌が立った。
トルファンで有名なのは葡萄。特に種無し葡萄を干したレーズンは、糖分が60%の半透明の緑色で、「中国の緑の真珠」と称され、国際市場でも知られている。
8時10分にトルファン駅を出発。窓越しに見る空は青く、遥か下の方にトルファン盆地が霞んで見え、標高2000メートル近くを走っているので、空中を飛んでいるような錯覚にとらわれる。
汽車は8時40分ごろ、西から北西の方へ進路をとり、やがてトルファン盆地を離れ、東部天山山脈の中に入った。
東西に連なる天山の岩山を縫うように、色とりどりの岩山の谷間を、南から北西へ徐々に登って行く。
9時20分、天山の峠を越して北の烏魯木斉側に出ると、視野が開け、緑の草地が飛び込み、あちこちに羊の群れが見える。9時半、山間地を抜けると、大地は広く緑地帯が続く。「烏魯木斉(ウルムチ)」とはジャンガル語で「美しい草原」だが、まさしく烏魯木斉だ。
10時10分、線路は天山山脈から離れた。10時25分、線路東側の人気のない荒野に、大きな合金製の風車が2列に14本立っていた。この辺は1年中風が強いので風車による風力発電所なのだ。
天山山脈を超えて、烏魯木斉に向かう車中で東西南北の雄大な自然の光景を見比べ、ユーラシア大陸の中央部までやってきた、横断鉄道の旅の面白さと楽しさを痛感した。
11時10分、快晴の烏魯木斉駅に着く。西安からの同室者たちは、たくさんの荷物を抱えて楽し気に降りた。孫娘が、茶目っ気いっぱいに「再見」と笑った。長い旅の終着は、人を安堵の思いに駆り立てるのが、プラットホームを去り行く人々には笑顔と明るい語らいがあった。
私も、ここまで無事に来ることができた喜びを感じ、人々の後に続く。出口に、私の名前を書いた紙を持った若い女性が立っていた。まるで旧友にでも会えたような嬉しさと安心感が全身を駆け巡った。
通訳の唐純蓮さん(27歳)は満族の人で、日本人と同じような顔立ちをしている。烏魯木斉にはウイグル族が多いのだが、日本語を話すこともあってことさら日本人らしく見えた。彼女は、日本製の車で今夜泊まる華僑飯店に案内してくれた。