地球へめぐり紀行

新制中国の望郷編

ユーラシア大陸横断鉄道の旅㉒ ウルムチ→阿拉山口

 4月30日、私たちは旅行社の車でウルムチ駅に向かい、午後0時10分に駅舎に入る。大勢の客なので、荷物が透視器に通されるのにやや時間を要した。係員がチェック終了の白い紙をぺたりと貼り付ける。まるで出国の通関のようだ。 

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             ウルムチ駅の改札口

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プラットホームに立つ座席車と寝台車の案内標識

 私たちは改札口から通路を抜けてプラットホームに出た。15両もの長い列車には、軟座寝台車はなく、硬座寝台車と座席車だけ。1車両に3ベッドが22列並んでいるが、上段は使用していない。私は2号車9番の下段。王建軍さんが向かいで、王星さんが私の上のベッド。ほぼ満員である。

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私の荷物を運びこむ王星さん

 新疆の鉄道は、第二次世界大戦後の1962年に蘭州―ウルムチ間の蘭新鉄道1892キロが初めて開通し、1992年6月20日には、ウルムチから阿拉山口経由で、カザフ共和国の首都アルマアタ(アルマタ)までの国際列車の全線が開通する。この開通によってユーラシア大陸の東端から西端まで、中央アジア経由で汽車の旅ができるようになる。私の今回の旅はその先駆けなのだ。しかし、国境を超す汽車がまだ運行されていなかった。

 10時42分、発車のベルが鳴る。これまでの駅のベルは、「ジー」と鳴るだけで聞き取りにくかったが、ウルムチ駅では「リリリン」と大きく30秒ほど鳴った。

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阿拉山口行の機関車

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烏魯木斉から阿拉山口行きの列車

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出発直前、烏魯木斉駅のプラットホームでの筆者

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出発直後に車窓から烏魯木斉の南側と天山山脈を撮影した。

 ウルムチから南へ向かえばトルファンだが、ここから西へ向かい、天山北路に沿って進む一帯はかつて人の住みにくい乾燥した荒野であったが、1950年代以後に、解放軍や多くの漢民族が入植して、線路の南側が農業地帯になっている。

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硬座寝台車の様子

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寝台車の通路

 昌吉と大書した駅舎を過ぎると、線路の北方には平地が果てしなく続く。南の方には青々とした麦畑が続き、その向こうには冠雪した天山山脈がある。線路は進行方向左右の自然環境を荒野と畑地とに分けている。

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昌吉駅舎

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昌吉駅のプラットホーム

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昌吉駅の近くに並んでいたタンク・ローリー

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線路南側の麦畑 遠くに天山山脈が見える

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砂地に運ばれた土の山

 午後1時55分に楽土駅に着き、単線なので対向列車を待ち合わせた。ここから線路沿いに樹木が少なくなり、麦畑もなく、荒涼としたゴビの平地が続く。

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寝台車に横になる人

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寝台車での筆者

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線路南側の農耕予定地

 2時半頃にウルムチから150キロ西の石河子に着く。海抜450メートルにある石河子は、1950年代以来、解放軍によって開墾された町。その名のごとく、何もなかった砂利の土地を40年もの努力で開拓し、今では耕地面積は50万ムーを超える立派な農業地帯となり、10万人もの大きな町になっている。

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石河子駅舎

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石河子駅のプラットホーム

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石河子駅のプラットホームに立つ筆者

 午後4時、沙湾県に着く。このあたりから荒涼とした大地が続き、牧畜民の世界に入り、蒙古族の家パオが見え、羊、山羊、馬、駱駝などの家畜が目に付く。

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沙湾駅舎

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蒙古族の家 パオ(包)

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線路北側の蒙古族の居住地帯

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線路南側の線路沿いにあった漢民族の墓地

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寝台車の洗面所

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軟座車内

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線路北側の放牧地帯

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大平原にぽつりとある蒙古族のパオ

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ラクダに乗って羊の群れを追う少年たち

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線路南側にある漢民族のレンガ工場

 午後5時20分に、中間地点の奎屯(クイトン)に着く。大きな駅でプラットホームが広い。線路はここまで1990年に、ここから先は今年(1992)の2月22日に開通したそうだ。

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奎屯駅の標識

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奎屯駅舎と広いプラットホーム

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奎屯駅のプラットホームの様子

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奎屯駅の案内板の掲示

30分間の停車中に機関車の交換があり、「プー」と警笛を鳴らして発車の音楽が流れた。時速4、50キロでのんびり走る。寝台車の客の大半は、できたばかりの阿拉山口へ行くのだそうだが、現地では2000人もの人が今も働いているという。

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大平原の中をのんびり走る列車

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寝台車内を清掃する車掌

 午後6時18分鳥蘇(ウナスー)の駅に着く。南の方には天山山脈の支脈が続いているが、それ程高い山はなく、冠雪はない。

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鳥蘇駅舎

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鳥蘇駅のプラットホームに降り立った車掌

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鳥蘇駅のプラットホームの様子(駅員と乗客)

 午後7時31分、小範囲だが、水田地帯が見える。この辺はすでに北緯44度で、北海道の旭川よりも北になる。こんな荒涼とした地域でも東部から漢民族が入植して稲を栽培している。線路の南側には水田と綿畑、北側はタマリスクの灌木が生えている荒野の放牧地。地平線に近づいた太陽を追って西へ走る。

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線路南側にあった水田地帯の取水地

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線路南側の水田地帯

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南の天山山脈からの雪解け水による水田

 8時10分、荒野の無人駅に着くが、駅名もプラットホームもない。アメリカ映画の西部劇の1シーンにあるような荒野の無人駅で、下車した客は、自分の行きたい方に向かって歩いている。

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北側の車窓に見えた家畜の放牧地

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古河駅

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夕暮れの大平原を西に向かって走る列車

 9時15分扽扽(トントン)に着いた。この辺には葦が多いのか、束ねた葦が積み
上げられている。

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夕方の托托駅舎

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托托駅のプラットホームで夕日を見つめる筆者

 やがて天山北路から分かれて西北に向かう。夜のとばりが下りてもう何も見えない。午後9時50分に精河に着いた。暗くて何も見えないので、この後ベッドに横になった。 

 呼び起された時には、すでに阿拉山口に着いていた。腕時計を見ると午前1時10分。広いプラットホームに降り立ったが暗い。数百人の乗客がうごめきながらどこかへ散っていった。私たちが乗って来た列車は、ここから折り返し、午前3時40分発のウルムチ行となる。

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暗闇の中、阿拉山口駅で下車する乗客たち

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暗闇のプラットホームを三々五々と歩き去る乗客たち

 私たちは、暗くて寒いプラットホームに立っていると、運転手の馬さんが名前を呼びながら近づいてきた。

 今夜はテントに泊まる予定であったが、馬さんの計らいで、「北彊鉄道局阿拉山口分社招待所」に泊めてもらうことになった。

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招待所の看板

 出来たばかりの招待所はコンクリート製でベッドが4つある四角い部屋の壁は白い。何の装飾もないが、一晩中寒い強風にあおられてテントの中で過ごすよりも、やはり家の中は暖かい。電気も水道もあり、ポットのお湯でお茶を飲む。言葉は交わさなくてもお互いに安堵感が漂う。午前2時、安全を確認し合い、裸電球の明かりを消した。

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午前2時前、招待所のベッドに座ってお茶を飲む筆者

 翌朝7時20分に起床。氷雨まじりの風速20メートルの強風の中、王建軍さんと国境の検問所まで歩いた。標高371メートルの阿拉山口は寒い。検問所からさらに8キロ歩けば、カザク共和国の最初の駅、ドルジバだが、ここから越境する許可を得ていないので、20分ほどして引き返した。

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駅から国境に向かう建設されたばかりの道

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国境近くの建物

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中国とカザク共和国との国境検閲所 右側の電柱沿いに鉄道がついている

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国境検問所近くの線路上に立つ筆者

 白と褐色のモダンな2階建ての駅舎が、荒野にポツリと建っている。完成したばかりでまだ無人駅舎。駅近くにわずかに家があるだけで、殺風景を絵にしたような情景。

 5月1日、阿拉山口は小雨が降り、風が強かった。無人のプラットホームに車を乗り入れ、年内にもう一度ここを訪れることを誓って記念撮影をした。

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完成直後の阿拉山口駅

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阿拉山口駅のプラットホームに立つ筆者

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左は王建軍さん 中央は筆者 右は王星さん 馬さん撮影

  この後、車でカザク共和国との国境検問所のあるホルゴスまで、270キロほど西方へ進んだ。私はそこから1人でカザク共和国の首都であったアルマ・アタに出た。そこから再び鉄道を利用して中央アジアを西へ向かう旅を続ける。