ユーラシア大陸横断鉄道の旅⑬ 平壌→新義州
平壌駅は、外観は大変立派なのだが、校内には市民生活を潤すものがなにもなく、時刻表や運賃表すらない。まったく殺風景な構内だが実に広々としている。
平壌駅の幅30メートルはあろうかと思われるプラットホームに、北京行きの国際列車が停まっていた。ディーゼル機関車の次は郵便車で、その次の2両が北京まで行くのだが、あとの15両は国境の町、新義州行き。
日本では見られないような、広くて何もないガランとした構内を、記念にと思って撮影していると、「早く、早く」と係員と太さんに急き立てられて汽車に乗り込んだ。 私の席は、2両目の12号車4号室14番上段のベッドである。4人用のコンパートメントで、中国の瀋陽まで行く北朝鮮人2人と、北京に向かうエチオピア人が相客。
定刻の正午になると「ピリピリ」という笛を合図に発車した。私は部屋には入らず、通路に立って窓外を眺める。25分後に平壌飛行場の脇を通ったが、飛行機は見かけなかった。
線路沿いの大地は赤褐色で、一見して枯れ野だ。水田よりも畑が多く、土地は痩せている。ところどころにビニールで被った稲やコウリャン、トウモロコシなどの苗床がある。山には背丈の低い松が生えているが、地肌が見える。桃や杏の花が咲いているものの、空気が霞んでいるせいか、大地の色に消されて美しさを感じない。この辺まで北上すると、ヤマザクラはもう見られない。
太さんが、午後1時に昼食を予約しておいたので、食堂車に行き、朝鮮料理を食べる。客は北京行きの国際列車に乗っている人だけで、一般車両の人々はいなかった。
2時35分に宣川という駅を通過する。線路沿いに山が見えるが、標高100メートル以下の小山ばかりである。冬用の防寒のためなのか、窓は目張りされているので開かない。それに窓ガラスが汚されているので、風景を楽しむことも出来ない。移り行く車窓の光景を楽しむことのできない汽車の旅は、何とも味気ない。
3時50分、新義州に到着。ここでディーゼル機関車を替え、北京行きの2両以外は切り離された。国際列車の客は、ロシア、エチオピア、モンゴル、インドネシア、シンガポールの人のほかは、中国人と朝鮮人である。
1時間以上も停車するというので、駅構内から外の光景を眺めた後、駅舎の2階に上がってみる。バーに入ると、キリンとアサヒの缶ビール、かっぱえびせんなどを売っていたが、いずれも日本より安い。インスタントコーヒー1杯が缶ビール1個よりも高価で、180円であった。私は、缶ビールを買って飲みながら出発を待った。