ユーラシア大陸横断鉄道の旅⑮ 丹東→北京
丹東駅は改装中で、プラットホームで2時間以上も待たされた。この間に、他の車両が15両も連結され、6時間45分にようやく発車した。
7時すぎに食堂車で夕食。鶏肉料理と牛肉の野菜炒め、卵スープ、白飯も注文する。料金は、50元(日本円の1300円)であった。今日の中国の平均月給は5000円である。あまりにも高い料金なので、食堂車係の車掌に説明を請うと、彼は25元で十分だと言って、半額返金してくれた。食堂の経営を委託された女が、外国人に2倍もの値をつけていた。しかし、中年の太り気味の女性は、悪びれる様子もなかった。ここは2重価格のある中国なので、これからは十分気をつけなければならない。
私の隣の部屋には外国人の一団がいる。インドネシアやシンガポールの商社員をウランバートルに案内するという、モンゴルの在平壌大使館商務参事官の一行である。この一行には、ほかに北朝鮮人の英語とロシア語の通訳が同行していた。
彼らの部屋で1時間ほど酒を飲みながら雑談した。その隣室では、瀋陽で開催される国際ジュニア体操大会に出場する中学生を引率する北朝鮮の先生たちが、熱心に朝鮮将棋を指していた。
外は暗く何も見えないので、10時頃ベッドに入った。翌24日、目覚めるともう唐山駅に着いていた。そして、午前10時5分には天津駅に着いた。この辺のポプラの樹はすでに新緑で、北朝鮮よりも春の到来が早いようだ。
渤海湾に面した天津から内陸の北京に向かう。線路沿いのあちこちで山羊や羊の放牧をしているのが見られた。北朝鮮でも山羊をよく見かけたが、北から南下してきた牧畜民文化の名残だろう。北京に近づくにつれ、羊の群れが多くなる。ロバやアヒル、ガチョウなども目につく。
畑には、麦のほかにトウモロコシ、ネギ、ニンニク、野菜などが生えている。山の見えない広々とした大地を畜力と人力で耕している。その畑に種を蒔く農民が見かけられる。
1980年に労働責任制が導入されて以来、農民がよく働くようになったといわれるが、それが実感できる光景。今では、大都市近郊では、「万元戸」と呼ばれる年収一万元(25万円)以上の農家は珍しくないと言われてもいる。
午前10時30分、北京駅に着いた。いつものことながら大変な混雑で、荷物を持った人々が駅構内から外へあふれ出ていた。