ユーラシア大陸横断鉄道の旅⑭ 新義州→丹東
新義州の駅を出ることは出来なかったが、改札口までは行けた。主にプラットホームを歩きながら出発を待った。
汽車は午後5時10分に新義州の駅を発った。間もなく鴨緑江にかかる鉄橋にさしかかる。幅500メートルほどの川は、まさしく中国大陸と朝鮮半島の境である。冬は凍結するので歩いて渡れるが、春から秋にかけては、昔から越すに越せない大河であった。
歴史書によると、東北アジアから南下してきた遊牧騎馬民族は、この川にずいぶん悩まされたとある。そしてまた、絶えず朝鮮半島を支配下に置こうとした漢民族も、この川にはてこずったそうだ。まさしく民族の住み分けを可能にした天然の境界であった。
朝鮮戦争当時、中国からの物資輸送路を断つために、アメリカ国連軍によって爆破された古い鉄橋が、川の中程で切れたまま残っている。40年もの歳月が流れているのだが、錆びた鉄の固まりは、今もまだ頑なに戦争の破壊や残虐行為を語り続けている。
北朝鮮と中国の国境である鴨緑江にかかる新しい鉄橋を渡ると、もう中国側の丹東。川を挟んで新義州の対岸にある町だが、時差が一時間あり、丹東駅には現地時間の4時半に着く。この間わずか20分足らずである。
丹東駅で車内に入ってきた税関員は、客の持ち物をうるさく調べ、所持金までチェックした。驚いたことに外国人である私の所持金まで数えた。あまり気持ちのよいことではないが、ここはまだ国際的によく知られているわけではないし、欧米や日本からの旅行者が多いわけではないので、彼らは、十把一からげに扱い、一方的に、しかも不信感をあらわにして調べるのである。
私は、事細かく調べられて気分を悪くさせられたが、文句を言っても仕方がないだろうと、彼らの要求に任せた。何かを要求されることはなく、調べ終わると、何事もなかったかのように去って行った。
駅から出ることはできなかったが、駅構内やプラットホームから周囲を眺めながら出発待った。