ユーラシア大陸横断鉄道の旅⑰ 西安
西安を中心とした渭河(ウェイハ)の流域は、昔から「関中」と呼ばれ、周囲を山に囲まれた肥沃な渭水盆地である。しかし、雨は7、8、9月に集中し、年間600ミリくらいしか降らない。紀元前12世紀の西周から秦、漢、隋、唐に至るまでに、11の王朝がこの関中盆地に都を置いた。
紀元前221年に秦の始皇帝が統一国家秦を建国した。やがて漢民族の国家である前漢時代が始まったが、当初の始皇帝が漢字の字体を統一した「篆書(てんしょ)」を創り出し、その後漢時代の終わるまでの400年間に、漢字文化が形成され、中国大陸における漢民族社会が確立されたといわれている。その中心地が昔の長安の都、現在の西安である。
西安には、今、年間32万人もの外国人が訪れる。そのうち10万人が日本からの観光客で、今年(1992)7月1日には、名古屋からの直行便が就航する。
唐時代には日本から多くの留学僧がこの長安の都を訪れ、その後の日本文化に多大な影響を及ぼした。奈良とは文化的かかわりの深い古都なのである。
現在の西安名物は、なんといっても夜の街頭に並ぶ安くてうまい物を売る屋台である。
2カ所あるが、1つは南昌門通りの南門と西安賓館の間に100軒ほどの小さな屋台が並んでいる。1人5元(125円)も出せば十分食べられる。
麺だと一杯1.5元、餃子は1皿2元、羊や鶏の焼き肉は1皿2元である。
夜遅くまでやっているのでよい散歩コースになる。もう1つは、有名な餃子専門店「徳発長」。80年前からある大きな店で、なんと餃子が209種類もあり、食べ歩くには十分である。
この餃子店で、まずは西安特産の「貴姫美酒」という、もち米で作った白いにごり酒を温めて飲む。そして、筍、髪菜(ファーサイ)、菜、きのこ、フカヒレ、あわび、トマト、豚、鯉、蟹、鴨など18種の餃子を食べた。最後に清朝末期の実力者西太后が好んで食べたという「后火鍋」を賞味する。
これは、北京から西安に逃亡してきた西太后が作らせた、小指の爪よりまだ小さい豆粒ほどの鶏肉餃子で、「真珠餃子」と呼び、好んで食べたそうだ。この1人前が3粒。それは、西太后が3つしか食べなかったからだと言う。
日本の遣隋使や遣唐使も当時の長安を訪れ、仏教だけではなく、穀物や果物、野菜、医薬、歌舞など、多くのものを日本に持ち帰った。この長安であった西安を接点として、シルクロードの文明,文化が日本の奈良へと伝わってきた。
現在の西安郊外の方角的特徴は、東には紡績工場、西にはエレクトロニクスの電気工場が集中し、南は教育区で、西安交通大学、西北大学、西北工業大学など38もの大学が集まっている。北は農業地区で麦、トウモロコシ、菜種などが栽培され、西安空港がある。