ユーラシア大陸横断鉄道の旅⑪ 開城→平壌
ユーラシア大陸横断鉄道の旅を、開城の町から再び始めるために、ずいぶん遠回りをさせられたが、鎖国状態のような北朝鮮を、こうして旅が続けられることだけでも幸運なのかもしれない。
金日成主席の若き日の写真を正面に掲げた開城駅には、構内に時刻表はあったが運賃表がなかった。改札口には係員がいないので自由に出入りできる。しかし、人々は群れをなして切符を買い求めていた。プラットホームには屋根がなく、ハングルで駅名が書いてあるだけの素朴な駅である。
通訳兼案内人の太さんは、監視役でもあるのか、駅の構内を撮影すると、「あまり良い光景ではないですね」と言うし、人のいるプラットホームを撮ると、「軍人さんを撮りましたね。私は知りませんよ」などと、なかなか口うるさい。しかし、よく気のつく親切な青年で、単に注意を促すだけであった。
午後6時40分、大勢の人を乗せた平壌経由新義州行きの列車は、何の合図もなく発車した。ディーゼル機関車が15両の客車を引いている。その最後尾は、昨夜、平壌から私を運んできた専用の特別車両だ。国賓でもない私一人のために特別車両が付けられたのは、もしかすると、私たちが金日成主席と並んでいる写真のおかげなのかもしれない。
今年(1992)4月15日、金日成主席80歳の誕生日を記念する事業の一つとして,平壌→開城間160キロの高速道路が完成したので、外国人の開城への往来は車を利用することになっていた。汽車での所要時間は6時間なのだが、車だとわずか2時間で着く。
私が平壌に着いた時、太さんに車での往復を決まりごととして強要されたので、またもや主席との記念写真を見せて交渉した。この写真は、まるで水戸黄門の葵の紋章のような威力があるのか、なかなか同意しなかった彼の態度が一変し、「わかりました、できるだけの努力はします」と言って上司に電話してくれた。それからのいきさつは、まるで小説の世界のように、私に都合よく進行し、専用車両が付けられたのである。そして、車は運転手1人で開城に向かい、太さんは私と同じ汽車の車両で開城について私を迎えたとのことだった。
板門店を訪れた後市内を観光し、夕食をとって太さんと2人でその専用車両の3号室に再び乗り込む。置いてあったビールやシャンペンを太さんと共に飲み、まるで国賓にでもなったかのようにゆったりとする。
この特別車両には、私への車内サービスのために2人の女性車掌と一人の技師が同乗していた。隣の車両へ通じる扉には鍵がかけられていて、前の車両に行くことはできなかった。
午後7時5分、リヨーヒョン駅に着く。ハングル文字の駅名を太さんが読んでくれた。やがて夕闇が迫り、何も見えなくなった。私はアルコールと疲労のせいで、間もなく寝入ってしまった。
平壌には午前0時15分に着き、明かりのないホームに降りる。太さんの案内で、暗くて静かな駅舎を通り抜けて、街灯の少ない歩道を5分ほど歩いて高麗ホテルに着いた。
真夜中のロビーは人影もなく閑散としていた。係員から鍵を受け取って、1人でエレベータに乗り、31階の7号室に入る。私の荷物がそのまま置いてあった。もう午前1時を過ぎていたが、西洋式の風呂に浸かってから横になった。