ユーラシア大陸横断鉄道の旅㊱ 白い街パリ
パリ東駅から乗ったタクシーの運転手は、カナリア諸島出身で英語を話した。私はフランス語が話せなかったので、言葉が通じると気が楽になった。夕暮れのパリを眺めながら、ルーブル美術館近くのノルマンディ・ホテルに10数分間で着いた。このホテルは、昔から日本人がよく泊まる古い立派なホテル。ところが予約していたはずなのに、満室だと言う。受付係の男性は英語を話すので、もう1度確認するように頼むと、「モリタ」の名前で予約はあったが、誰かがすでにチェックインをしているという。どうも受付係のミスのようで、いいかげんな人の多いフランスらしいこと。マネージャーにクレームをつけると、屋根裏部屋が1つ空いているというので、7階の最上階に泊まることにした。
私は、25歳の頃、ロンドンのケンジントンチャーチ横の屋根裏部屋に下宿していたことがあり、懐かしかった。屋根裏部屋の低いところは頭がぶつかるが、値段は安い。部屋はきれいで広いし、バス・トイレ付き、一泊ならこれで十分だ。
ホテルの近くには日本料理店「大阪」「たから」がある。300メートルほど離れて「祭」という回転寿司屋があった。久しぶりに寿司を食べる。カリフォルニア米の江戸前寿司は味がよいというものではなかったが、6皿食べる。1皿に2個盛られて22フランなので、合計3360円となり、安くはなかった。パリにはもう4回来ているが、来る度に日本人観光客が多くなり、日本語をよく耳にし、隣国のように身近になっている街だ。
翌日、5月14日は快晴であった。夕方6時まで時間があるので、久しぶりにパリ見物をすることにした。まず、ホテルのすぐ隣にあるセーヌ川沿いのルーブル美術博物館を訪れた。
古代から現代に至る世界の美術史が一目で分かる人類最大の財宝と讃えられている、20万点もの美術品もさることながら、私の興味は、1667年から125年も要して建築された、世界最大の宮殿である大理石の建物自体である。ところが来てみると、大改築中で、汚れた建物を水で洗っていた。敷地内は建設工事中で地下深く掘られている。大地の地下は石灰岩で、石灰質の強い土壌に覆われている。
セーヌ川にあるシテ島のノートルダム寺院、コンコルド広場、パリ大学、ブルボン宮、凱旋門と見てまわる。建物も記念建造物も、大地もみな白かった。パリは「白亜の都」とよく言われるが、その通りであった。
これまで、パリがなぜ「白亜の都」なのかよく理解していなかった。それに、パリの水が飲めない本当の理由も分かっていなかった。
パリの大地を掘り下げる工事現場を何か所も見たが、どこも岩盤は白い石灰岩なのだ。建築用に切り出される石も、石灰質の高い大理石。パリは石灰岩の上に、石灰岩を使って家が建てられた白い街であり、地下水は、石灰質のアルカリ度が高い硬水で、飲料水には不適なのである。
青い空と新緑の中に白亜の建造物と装飾用の赤色が、実によく映えてパリらしい光景を醸し出している。パリの街は、白いがゆえに豪華で美しく、古くて堂々としている。
ところが、この石材は、今日の酸性雨や自動車、工場などの排煙、排気ガスなどに弱く、溶けたり灰黒色に汚れてしまう。近代化が進んだ今日、パリの街全体が汚れてくすんでいるので、真水で洗い清めることが必要になっている。
人間は古代から今日に至るまで、大地の色に合わせた生活文化を培ってきた。家や道具、衣類や食生活文化も、大地の色に似せるという。人間は、身近にあって最も手っ取り早く、簡単に利用できる材料を使用するせいである。パリの人々が白い街を好んで作ったのではく、身近にある白い大理石を使ったので自然に白亜の街ができ上がり、パリの色となり文化となっているのだ。
夕方スペインのマドリード行きの列車を待つまでの1日中パリの街を歩いて、白亜の建造物を眺めながら、フランス人が白い街を好んだのではなく、そうせざるを得なかったことに気づかされた。