ユーラシア大陸横断鉄道の旅

ユーラシア大陸横断鉄道の旅➉ 開城→板門店

平壌からの夜行列車は、4月22日午前6時に着いた。開城には外国人旅行者用の車がないので、ソウルから来た車と太さんが待っていた。私は、その車で太さんと共に駅から民族旅館に直行した。 早朝の開城駅 開城の民族旅館 民族旅館の筆者が逗留した部屋 部…

ユーラシア大陸横断鉄道の旅⑨ 仁川→威海→煙台→北京→平壌

板門店を越えて北へ行けないので、仁川から中国・山東半島の威海へフェリーで渡ることにした。 4月8日の朝、ソウルは小雨まじりであったが、50キロ離れた仁川に11時半に着いたときにはもう晴れていた。 仁川の港のフェリー乗り場の入口 仁川港で中国の…

ユーラシア大陸横断鉄道の旅⑧ ソウル

板門店を通過して北へ行くことができないので、仁川から黄海を渡って中国の山東半島の威海の町に行き、北京経由で北朝鮮の平壌に行く方法しかない。仕方なくソウルで一泊することにした。 街中から見たソウル駅 日本時代の古くからあるソウル市庁舎 市庁舎前…

ユーラシア大陸横断鉄道の旅⑦ 板門店南側

ソウルから北へ60キロの道程にある板門店には、個人が自由に訪れることはできない。外国人ならば、大韓旅行社(KTB)が取り仕切っている1日バスツアーに参加して、土曜、日曜、祭日以外の日には訪れることができるが、韓国人はまだ行くことができない…

ユーラシア大陸横断鉄道の旅⑥ ソウル→汶山

私は、その日のうちに韓国最北端の駅「汶山」まで乗り継ぐ予定になっていた。出発時刻は午後5時。朴さんの案内で急いで汶山行きの普通列車に乗り換えた。 汶山行きのプラットホーム入り口 汶山行きの汽車 車両は見るからにローカル線らしく、扉の開閉もまま…

ユーラシア大陸横断鉄道の旅⑤ 釜山→ソウル

釜山駅 フェリボートの中央埠頭近くにある釜山駅に、午前11時40分に着く。金さんの案内で改札口を入り、すでに入線していた韓国版新幹線「セマウル号」の5号車17番の座席に荷物を置いた。列車は流線形ではなく、紺色の普通の客車が箱形のディーゼル機…

ユーラシア大陸横断鉄道の旅④ 釜山

フェリー発着場出口の前からタクシーに乗った。中央洞の市庁舎前を通って、南浦洞の映画館街でタクシーを降りた。ここで金英姫さんの知り合いのカバン屋に私の荷物を預けた。 南浦洞の映画街 街頭に座り込んで商売するおばさんたち 彼女の案内で町を見て歩く…

ユーラシア大陸横断鉄道の旅③ 下関→釜山

春の天候は変わりやすい。午前中は晴れていたが、正午過ぎから雲行きがおかしくなってきた。関釜フェリーの発着港である、下関国際ターミナルに着いた午後3時頃には、雨雲が重く垂れ込んでいた。 出国手続きを終え、フェリーに乗り込む時には小雨が降って、…

ユーラシア大陸横断鉄道の旅② 下関

下関駅近くの高台にある亀山八幡宮の境内には砲台の跡がある。江戸時代末に、長州藩が英米仏蘭4ヶ国連合と紛争を起した時、関門海峡を航行する商船を砲撃するために作ったものだ。騎兵隊を組織した高杉晋作や薩長連合を画策した坂本龍馬、西郷隆盛、そして…

ユーラシア大陸横断鉄道の旅① 東京→下関

1992(平成4)年4月14日、東京駅から鉄道でユーラシア大陸の西端リスボンのサンタ・アポロニア駅まで旅をすることにした。 東京駅は夕暮れの春雨に霞んでいた。東京駅舎のステーションホテル2階で、私の壮行会が催され、6時過ぎまでには、友人・知…

ユーラシア大陸横断鉄道の旅 

はじめに 人間は、いつの時代にも白い雲に乗って、大空を自由に飛び回る夢を見る。それを青春というなら、私は青春の証明を求めて旅に出る。時には、無謀ともいえる未知への旅こそ新たなる人生の道標となるだろう。 私は、多くの国でさまざまな列車に乗った…