地球へめぐり紀行

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ユーラシア大陸横断鉄道の旅 編

ルドルフ湖のツルカナ族(1970年7月)ケニア

 ルドルフ湖にあるロッジマネージャーのエドモンドは、ここにもう1年半近くも滞在していた。パリ生まれでロンドン育ちのフランス人。彼はフランス語、ドイツ語、英語を話し、現地語も上手だった。それにしても現地人たちは、金と食料を持っている彼の命令ならば何でも聞き入れそうだ。

 私は彼に、自分が民族調査のための来訪で、普通の旅行者でもナイルパーチを釣りにきたのでもない旨を伝え、取材協力を乞うたが、長い間ケニア政府から外国人の立ち入りを禁止されていたので、なかなか頭を縦に振らなかった。

 フェルグソンガルフ(湾)には、1962年の初めに白人宣教師が入った。そして、1964年、ケニア政府は水産庁の役人をこの地に派遣し、世界一魚の豊富なルドルフ湖に漁村をつくる計画を立てた。

 牛と共に生活する遊牧民であったツルカナ族は、ミッションとケニア政府にパンとミルクと缶詰食料を支給され、湖岸の荒野の砂の上にロクワカンコーレという村をつくるに至った。1968年にはわずか300人だったが、1970年現在では約2,000人のツルカナ族が集まってきている。政府は彼らにナイロンの漁網を与え、ボートとエンジンまで持ち込んだ。

 フェルグソン(湾)は、ワニとカバは漁網を荒らすという名目で、政府派遣のプロフェッショナルハンターによって射殺され、今はもうほとんどいない。

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フェルグソン湾で魚を捕るツルカナ族

 1968年11月、フェルグソン湾に面する半島の突端に、LAKE・LUDOLF・ANGLING・CLUB(ルドルフ湖釣魚クラブ)のロッジができ、文明人がフィッシングに飛行機で来訪しはじめ、飛行場ができた。

 ツルカナ族は牛の血とミルクと小便を混ぜて、おかゆのようにしたものが主食だったが、現在では定住し、マッコーマ(椰子の1種)の木とその葉で家を作り、サハニーという魚を主食としている者もいる。

 ロッジは、砂丘のような半島の先の方にあった。ロクワカンコーレからはずいぶん離れており、周囲は砂地で木は1本も生えていない。ロッジのあるところだけが、文明地で、他は原始時代と同じような砂の世界だ。

 ロッジの後方に2年ほど前からツルカナ族が徐々に住み着いた戸数3、40軒ほどのロングチエと呼ばれる新しい村が出来ていた。私は何とか、その村に入ってみたかった。

 エドモンドがやっと同意して、チーフ(村長)のチョペル氏を紹介すると約束してくれた。しかし、チョペル氏は、英語もスワヒリ語も全然話せないとのことだったので、エドモンドが前もってこの辺の知識とツルカナ族とチョペル氏について教えてくれた。

 翌日エドモンドがチョペル氏に紹介してくれた。

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私を案内したチョペル氏

 彼は大男で、腰に黒色を中心とする布を巻き、腕には大きな腕輪をしていた。手には権力の象徴なのか、黒色の短い棒を持っていた。首には赤いビー玉の首輪をし、頭にはこの辺ではよく見られるマラボストークコウノトリの一種)の喉の皮を切り取って、髪の上にタブサのように飾りつけている。肌は黒褐色に光ってつやがよい。

 彼の父はツルカナ族の族長で、彼はこの村と、この対岸のかなたに見える山のふもとの村を手中に収めているそうだ。年齢は40歳前後としかわからない。彼らには戸籍がないので正確な年齢など必要ないのかもしれない。

 私はカメラを3台さげて、彼の後について行った。お互いの共通語はスワヒリ語ハバナ(ノーという意味)という言葉だけである。

 いよいよ、彼と2人の徒歩旅行が始まった。500メートルも歩くと、砂の上に椀を伏せたようなマッコーマの葉の家が沢山あった。村人はこの赤熱の砂の上に座って、痛いほど強い直射日光を浴び、肌が黒く光っている。

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ロングチェ村のツルカナ族

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村の青年たち

 或る者は魚網を修理し、また或る者はサハニーと呼ばれる、扁平な白い魚を刃物で切っていた。或る者は大きな缶詰の空き缶に水を入れて、魚を煮ているのを火の側に座ってじっと見ていた。或る者は砂の上でたき火をして魚を焼いていた。

 家の中を覗くとたいてい人が寝ている。彼らは牛皮を敷くか、砂の上にゴロ寝である。家の中の砂は涼しいので冷房用にもなる。外が暑いので、そう感じるのかもしれない。家の中には家財道具など殆どない。日中は外が暑いので、狭い家の中は満員なのだ。

 彼らを撮影しようとしたが、或る者は砂を投げっけ、或る者は顔を隠し、或る者は魚を投げつけた。或る者は、怒って私に向かってきた。或る者は家の中に走り込み、或る者はカメラを不思議そうに見詰めていた。或る子供はカメラを覗き込んで顔を歪めた。

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砂地の上のロングチェ村

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日陰になるものはマッコーマの葉で作った家しかない。

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マッコーマの葉で作った家に寄りかかるサハニーを手にする女性

 彼ら全てが、チョペル氏の一声で静かになった。もう少しでカメラを取られそうになった時もあったが、チョペル氏が大声でどなって止めてくれた。

 チョペル氏には、横柄なところがある。黒棒をまるで指揮棒のように使って私に命令をする。多分言語の意味が通じたら、さぞ癪に障ったことだろうが、意味が通じないので我慢できた。さすが村のチーフともなれば、いかに非文明社会といえども貫禄がある。いやかえって非文明社会のチーフこそ人間的権威が高いのかもしれない。

 チョペル氏は先に進んだ。彼の黒光りのする広い肩が、いっそう広く思えた。彼の後姿にはなんとなく男の威厳のようなものが感じられた。

 「オイ!」

 私は彼を呼び止めた。女がカンの中にサハニーという魚を入れて煮ていたので、撮影してよいかと指を指した。彼は私を見てアゴで合図した。撮ってもよいということだった。

 「・・・・」

 女の声がカン高くひびいた。ビックリして後ずさりしたら、チョペル氏が女を叱ったのか彼の一声で何も言わなくなった。彼は余程の実力者なのか、黒棒を向けてブッキラ棒に言う。そして黒棒を私に向けて撮れと指図する。煮たサハニーの味は淡白で塩でもつけないと食べ辛い。彼らは醤油など知らないが、醤油をつけると一層おいしくなるだろう。

 ツルカナ族はもともと、砂漠とブッシュの中で牛を追う遊牧生活をしながら、牛の血とミルクを混ぜて、ちょっと酸っぱくした食物が主食だった。彼らはかつて、スーダンとの国境近くのウガンダ東北部地域(現在、カラモジヤ族が住んでいる)に住んでいたが、スーダン南部から南下したカラモジヤ族によって追い出され、ルドルフ湖岸の砂漠地帯には約150年ほど前に移動してきた。しかし魚を食べるのはフェルグソン湾のツルカナ族でもまだ一部の人々である。この村の人々だって、数年前から食べるようになった。彼らは魚の他にワニの肉も食べる。私も塩をつけて食べてみたが、ワニは煮ると魚とチキンの中間のようでなかなか美味である。煮ると皮も柔らかくなって食べられる。

 なおも砂の上を歩いたが、熱くてぶっ倒れそうだ。もう汗なんかでないので肌はカサカサになっている。チョペル氏は、すこしも熟そうにないし、帽子もなければサングラスもかけてなかった。私は白い登山用の帽子にサングラスをかけているが、重いカメラになやまされているのに、彼は素足で短い棒1本さげて熱砂の上を気軽に歩いている。

 彼は笑いを忘れたような表情で二コリともしない。顔立ちは、アラブ系の血が混じっているのではないかと思われるほど目鼻立ちが整って立派である。

 殆どの家は半島の高台にあって、湖岸までは2、300メートルあった。これは、雨期になると湖面が5、6メートルも上がるし、岸辺はヘビやワニなどの危険もあるからである。砂地の半島には、この辺に多いマッコーマの樹は1本も生えていないので、日陰になるものは家しかない。朝夕ならまだよいが、正午前後では日蔭はどこにもないので熱い。

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漁網を修理する村人

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網かごを伏せて魚を捕る少年

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網かごの中に手を入れて魚をつかむ少年

 歩いているうちに、魚を円形のハンドナイフで切っている裸の男を見かけた。彼の背には人工的な傷痕であるイボイボが沢山あった。

 ツルカナ族の風習として、子供の肌に多少の切り傷をつける。それは悪い病気にかからないようにと両親が愛をこめて魔除け用に切り傷をつけるからだ。子どもが何度か病気にかかった時には、それが上半身全体になる時もある。男の背中一面にその傷痕が小さなイボとなって残っていた。

 習慣と言えば、彼らの埋葬も変わっている。男が死ぬと必ず草のあるところに運んで行って埋める。それは、彼らの牛を追う遊牧生活の名残でもあるが、牛を非常に大事にしていたことがわかる。なぜなら、準砂漠地帯では、命の次に大事な牛のはむ草が少ないので、男たちは草を求めて牛とともに歩く。だから草のあるところに埋めれば、牛はいつも彼のそばにいるという。あくまで男を尊重した風習である。その反面、女はどこに埋めてもよい。しかし。子供が死ぬと決して埋めない。それは子供を埋めれば、その母親はもう二度と子供が産めないという迷信があるからで、砂の上か木の下に置き去る。

 彼らの名前は、生まれた時、場所(何の側で生まれたか)によってつけられる。たとえば、エボノイ(若草)という名は若い草の側で生まれたという意味、オモル(石)は石の側、メイェン(川)は川の側、ジナヤ(衣)は衣類の傍で、オドチ(鶴)は生まれた時鶴が近くにいたと言う具合に身近に存在するものの名前がつけられている。

 イボイボの男は、のんびりと砂の上に座って魚を切り開き、それを女が近くの縄を沢山張った干し場に持って行って干す。砂がついていようが、そんなことはおかまいなしの天日干しである。空気が乾燥しているので腐ることはない。

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サハニーと呼ばれる魚をさばく女性

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肉を切り取られたサハニー

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サハニーを干す女性

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南側から見たロングチェ村全景

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サハニーを干す風景

 彼らは、干し魚をロクワカンコーレの出荷場に持って行って、4kg1シリングで売る。この干し魚はコンゴに輸出しているのだそうだ。至る所に干し場があって、沢山の魚が掛けられてあった。一見のどかな風景だが、彼らの生活を見ていると、寝起きを共にしてきた牛が魚にかわって、毎日毎日魚との戦いのようでもあった。そこには文明社会のサラリーマンが毎日電車やバスに乗って、家と会社を往復しているような、そうせざるをえないという、この大自然の秘境ルドルフ湖には似つかわしくない生活態度がうかがわれた。

 ケニア政府は彼らに、魚を食べるためではなく、売るために獲らせることを教えてしまった。そしてその魚はビールに、パンに、砂糖に、塩に、缶詰食品に化けた。今ではトランジスターラジオに、魚網に、エンジン付きのボートに化けようとしている。

 すでに、かつて沢山牛を持っていた原住民は、牛を売って網を、ボートを買って、小さな企業家として、原住民を雇って魚をとらせている。チョペル氏もその一人だ。雇われることの嫌いな金のないものは、ビールを飲むために、政府から払い下げられた魚網を、マッコーマの手作りのイカダに乗って使っている。さもなければ、水深の浅い所で原始的なカゴで水中の魚を伏せて捕るしかない。彼らは自分が食べるために魚を捕るのではなかった。

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村の東側から見た風景

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比較的大きな家

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貧しい村人は、原始的な魚捕りかごで魚を捕る。

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西側の湖岸から見たロングチェ村 左端はロッジ

 部落をグルリと見て回った。チョペル氏のおかげで、このロングチエ村の人々には、一応顔見世することができた。中には親しくなって、私のカメラを手にしたり、ただわけもなく二コニコしたりした者もいた。これからあと三日間、いつでもこの村にやって来て、彼らの生活を観察できるきっかけはできたし、いざとなれば、この偉大なる、訳も分からぬチョンマゲ男チョペル氏を応援につけることもできる。しかし、招かざる客としては、少し強引な訪問でもあった。

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チョペル氏と筆者