内蒙古からチベット7000キロの旅⑦ 川に入った車
翌8月16日、3日間暮らしたオルンノールから昼前にオングル村に戻った。そして、バートル村長にお別れのあいさつをし、文革以前には草原の中にあったというサッチン廟を訪れるため、正午前に出発した。しかし、思うようには進まなかった。
ホンゴル村の前を流れるシャルムル川は、漢名では柳沙河である。川幅は100メートルほどだが、水が流れているのは僅か20メートルくらいの浅い川である。もちろん橋などない。
2台のランドクルーザーは一気に砂床の川を走り抜けようとした。先頭の一台は水の中をなんとか走り抜けて対岸に上がったが、後続車が水の中に止まってしまった。四輪駆動なのでなんとか脱出しようとしたが、車輪が砂に取られて動かない。ウインチを使おうとしたが、運転手たちは使い方を知らなかった。カメラの明石、斉藤の両氏か車のメカニズムに明るかったのだが、2台ともウインチが壊れていた。
車輪の埋まっている砂を取り除こうとしたが、スコップ1本とてなかった。これから2ヵ月間、7000キロにもおよぶ探検旅行なのだが、運転手たちは何の装備もしていない。彼らは車の運転をするだけで良いと言われていたのだという。
中国では、運転手は特殊技能者である。彼らは運転するたけで、荷物を運んだりはしない。客に気を使うこともなく、ただ安全に運転することだけなのである。
村に人をやって村長に助っ人を頼んだ。やがて、スコップと板を持った八人の男か来てくれた。ところが、車の後を押したり 持ち上げたり、ロープで引いたりする時の合図の仕方がちがかった。日本では「イチ、ニー、サン」であるが、中国側は「イー、アール、イー」である。「イチ、ニー、イチ」とは納得いかなかったが、郷に入っては郷に従えと、大声で「イー、アール、イー」と音頭をとった。しかし、車は一向に進んではくれなかった。
なんと最後には皆で車を待ち上げ、車輪の下に石や板を敷いて押し上げる原始的な作業をして、3時間後にやっと進めることができた。
脱出作業中に、1台のオートバイが同じ方向にやってきた。チェコ製のJAWA350CCで、やはり水の中で止まった。1人ではどうにもならず、三人が助っ人に急行し、やっと対岸に脱出したのだが、彼、ドルグルさん(30歳)は、隣の巴音(パイン)村の行政幹部で、村まで約40キロを先導してくれることになった。
大平原の轍(わだち)の道は迷路で、先導がないと確実に迷うのである。途中、城壁のような盛り土が東西につづくのを見かけた。かなり古い土壁だが、いつの時代のものか解明されていなかった。
午後4時半に巴音(パイン)村に着いた。村は平原の中の窪地にあった。熱い日中の脱出作業で、みな疲れていた。少々早いが、村の招待所に泊まることにした。そして、村の食堂で冷えていないビールを飲み、5時すぎに昼食と夕食をかねて肉うどんを食べることによって1日が終わった。