古代人の記録 ゴブスタンの岩面画(1998年8月)
1998年8月25日、油田の町バクーは快晴であった。アゼルバウジャンの首都バクーを訪れた目的は、古代人が描いたゴブスタンの岩面画を見ることだった。「ゴブ」とは泉または井戸のことで「スタン」は場所のことなので、ゴブスタンとは「泉のあるところ」や「湧水地」のことだが地名である。
通訳は22歳のザウィールさん、案内人はゴブスタン博物館長であり、岩面画の研究者である37歳のグルバルさん。そして、運転者は60歳のエルユンさんの4人で、韓国製の車ヒュンダイによる5時間のツアー。
ゴブスタンはバクーから約60キロ南西のカスピ海沿いにある。南バクーの油田地帯にある無数の石油櫓を眺めながら走る。道は広いが凸凹があって路面はあまりよくない。約40分でゴブスタンに着き、海岸沿いの道から西の右に折れて小道に入った。
右折して間もなく左側の平原に「キチダシ」と呼ばれる小さめな岩山があり、そこから4~5キロ離れた右側に「ベリクダシ」と呼ばれる大きな岩山があった。この2つの岩山は上が平らで、いずれも端々が崩れている。
岩面画はベリクダシの方にあり、その入口に資料館を兼ねた博物館があった。グルバルさんはここの責任者である。
私はこの資料館に案内され、岩面に描かれた模型や写真その他の資料を見ながら、グルバルさんの説明を受けた。
ここの岩面画は、約1万4千年前から8千年前に、この辺に発生した大きな地震によって岩山の洞窟が崩れるまでのものが中心だそうだ。当時は、カスピ海の海面は今よりも6メートルも高かったので、これら2つの岩山の間は海であり、キチダシは漁場地域、ペリクダシは野生の動物を追い落としてとる狩猟地域であったとされている。当時ここは海岸であったが、今は5~6キロも離れている。
ベリクダシには約20の洞窟があり、約14,000の岩面画がある。その内の6,200の絵を管理しているのがグルバルさんだ。
ベルクダシのこの岩面画は、ロシアの地質学者イサハーガ・ジェバルザテによって、1939年に偶然発見された。発見当初は岩ごけに覆われてよくわからなかったので、その後しばらく放置されていた。しかし、10数年前のソビエト時代に科学アカデミーの学者たちが調査し、拓本をとったり、形象に石灰を塗ってはっきりさせたので、今もまだ白っぽく見える刻画がある。
博物館で約30分間説明を受けた後、彼の案内で現場を見て歩いた。
まず最初に案内されたのは、高さ6メートルもの岩壁に10人の男たちが、「ヤリ」と呼ばれるギリシアダンスに似た民族踊りを踊っている刻画であった。その右側の地上二メートルほどの岩面には、長い船を20数名の人が漕ぐ線刻画がある。8,000年も前のカスピ海にはすでにこのような船があったのだろうか。そして、その下には弓矢を持った狩人がいた。
このような岩面に描かれた画は、中国では「岩画」と呼ばれているが、日本では一般的に「岩面画」と呼ばれている。絵・画には個人の感性による個人的表現と、後世に残すべき事柄として描き記した記録がある。
壊れた洞窟に入ると、岩面にたくさんの刻画や浮彫があった。その中に、胸や尻が異常に大きい女性と思われる人物像がある。これは多分豊穣を表現した大地の豊かさである地母神の原型ではないかと思わる。それにシャーマンらしき人の踊りや、地母神らしき豊かな肉体の像があちこちに描かれている。
若い男女が手を取り合って踊っているような絵もある。まるで8千年前の新婚の2人が春の野原を楽し気に踊りながら歩いているようだ。
その他に鹿、牛、馬、山羊、羊、野豚、犬、そして、カスピ海にいたのだろうか、イルカやアシカ、大きな魚、鳥などたくさんの動物が描かれている。
最後に案内されたのは、平らな岩の上に直径20センチくらいの穴を掘った料理場であった。穴の中に肉や野草と水を入れ、そして焼石を入れて料理したのだという。はたして、八千年以上も前の人々が、今の人間さえ気づかないような焼石料理を知っていたのだろうか。グルバルさんは、私の疑問に対して、間違いないとはっきり答えた。
とにかく暑い。木陰はなく、直射日光を受ける岩山は摂氏38度もある。その岩場に古代から生えているという野生のいちじく「アンジェル」があった。グルバルさんのすすめで、紫色に熟した小さな実を口にすると、大変甘かった。もしかすると、いちじくの原種であり、古代人の食料であったのかもしれない。
約三時間、汗にまみれて古代人と同じような苦しみを味わいながら、ゴプスタンの岩面画を観て回った。いずれにしても、8,000年以上も昔の人々が、これだけ多くの記録を残して下さっているのだが、現代の私たちは効果的に役立てているのだろうか。