地球へめぐり紀行

新制中国の望郷編

ミャンマー北部探訪㊲ カレワの町

 カレワはチンドゥイン川沿いの古い小さな町で、外国人が泊まれるようなホテルはなかった。ここから45キロ西のカレーミョまで行き、そこのモダンなホテルに泊まった。

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舟から見たカレワ全景

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船溜まりが二つの川の合流点

 12月15日、カレーミョからメタ川沿いに車でカレワに戻った。メタ川とチンドゥイン川が合流する三角状の頂点近くの、小高い丘の上にあるシュエモト・パヤから街を一望することにした。  

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右メタ川 左チンドウイン川の合流点 向こうは南北に走るメンゲン山脈

 1944年当時は、この町にも日本軍が駐屯していたし、インパール作戦に失敗して敗退してきた多くの将兵が、ここからチンドゥイン川を東に渡ったそうだが、その当時にもあった古い寺で、多くの日本兵が訪れていた。

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カレワの町の中心地

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カレワ中心地の米屋のコメをついばむ雀たち

 私たちは、その寺院に下で靴を脱いで素足になり、長い階段を上った。丘の上の寺の入口には、寺院再建のために募金をしている人が椅子に座っていた。我々6人の突然の訪問に驚いた表情の彼は、急いで立ち上がり、笑みを浮かべて迎えてくれた。

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丘の上の寺院の中にある仏塔

 私は、1年前に訪れた時も寄付をして、僧侶から手書きの立派な領収書をもらっていた。今回も1万チャット紙幣を差し出した。他の日本人も寄付したので、彼は大変喜んで、破顔一笑した。

 59歳のキンマウン・シエンさんは僧侶ではなく、午前中だけ奉仕で募金係をしているとのことだった。

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募金係をしていたキンマウン・シエンさん

 標高135メートルのカレワの町は、東と南西側を川に、西北側を標高2~3百メートルの山に囲まれた、三角形状の平地にある。ニッパヤシニセアカシアなどの高木の茂る、緑の多い町だが、これ以上発展するには地理的条件が悪い。

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寺の境内から見たカレワの町

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町の西北側にある山

 カレワは、川を利用した交通の便の良い商業地で、古くから栄えた町であったが、今ではこの西の平原にあるカレーミョの方が、陸路の交通の便が良いので繁栄している。しかし、この寺の境内から一望できる山と川と町並の眺めは素晴らしいので、今後は観光地として有望な所である。

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舟から降ろされた商品としてのツボ

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右側の小屋はカレワの船着き場の食堂

 キンマウンさんは、戦争当時のことを多くの人から聞いて、いろんなことを知っていた。

 日本軍は当時、西の山の麓に駐屯しており、町には沢山いて、この寺にもいたそうだ。イギリス空軍の飛行機に爆撃されて町は焼けた。この寺には当時落とされた爆弾を鐘として吊るしており、今も使っていた。

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左につるされているのは、イギリス空軍が投下した爆弾

 この町でも沢山の日本兵が死んだそうだが、その後どうなったかは聞いていない。多分、チンドゥイン川に流したのだろうとのことだった。ミヤンマーの仏教徒は、輪廻転生を信じる小乗仏教なので、埋葬して墓は作らない。一般的には焼き捨てるか川に流す。

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カレワ近くに建設中の鉄橋

 多くの日本兵が、インドの方から戻って来て、ここから川を東へ渡った。彼らが目指したのは、5、6キロ南の対岸にあるシュエジン村であったと教えてくれた。

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丘の上の寺の境内から見たチンドウイン川上流

 私は、この1月にモンさんと2人で、川上のトンビン村近くで、チンドゥイン川を西から東へ渡るフェリーボートの船上で、シュエジン村出身の40代の船員たちに会った。彼らによると、子どもの頃、村の近辺では時々日本兵の骨が発見されていた。村人たちは遺留品を保管したり、売ったりしたが、骨は素焼きの壺に入れ、チンドィイン川に流したと言っていた。

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カレワの昼間の船着き場の様子

 私は、皆に話して、シュエジン村を訪ねることにした。

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丘の上の境内に咲いていた花

 

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詳しくは拙著「チンドウイン川紀行」をご覧ください