ミャンマー北部探訪㉞ インドとの国境の町タム

 2015年1月当時、ミャンマーはまだ外国人が旅行できない地域があった。1月10日頃、マンダレーミャンマー観光案内所に、インド東北部のインパールに最も近い国境の町、タムへの旅行許可願いに訪れた時、対応してくれた事務員は、次のように話した。

 「外国人は、カレーミョーまでは行けますが、その先のタムへは治安が不安定なので行かないでください」

 インド人以外の外国人は、タムへは行かないそうだが、別に罰せられることはないとのことだったので、旧日本軍がインパール作戦敗退後の現地の様子を見ようと思い、意を決してタムまで行くことにした。

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カレーミョー空港

 カレーミョーのホテル従業員によると、カレーミョーからタムまでは131キロあるそうだが、タム行きの直行バスがあるとのことだった。1月16日の早朝ホテルを出て、午前8時発の乗り合いバスに3000チャット払って乗り、運転手隣の壊れかけた古い席に座った。

 バスは前世紀物のオンボロ。客は現地人が20数名乗っている。ガタガタ、ブルブルと変な音を立てながら走るので、時代スリップしたような感じがするが、前を向いて座っている限り、ちゃんと進んでくれるので何も問題はない。道は、インドへ通じる通商路なので、舗装された2車線を、50代後半と思える運転手は、慣れた手つきでオンボロバスをいたわりつつ走らせる。

 3時間以上も運転手の横に座っていたので、片言英語を話す彼と親しくなった。タムの入り口で搭乗者のチェックがあったが、運転手がうまく取り計らってくれた。

 午前11時35分、タム中心街の三叉路の所でバスは止まった。運転手が親切に三輪タクシーを呼んでくれ、カレーミョーから電話予約をしていたホテルへ案内するよう指示してくれた。

 タムの町は晴れていた。ホテルの3階から西の方へは、インドの山々が見える。街はトタン屋根の家と2~3階のコンクリートの建物があり、新旧入り混じった街並みで、道はまだ整備がされていない。タムはチンヒル北部の東麓にある、まだあまり発展していないチン族中心だが、ビルマ族の植民地のようになった町。チン族、ナガ族、マニプル人、山岳民族、そしてビルマ族などが入り乱れて混住しているので、町の人口数はまだ分かっていないそうだ。私が見た限りでは、近郊も入れると少なくて2万、多くても4万人くらいのようだ。それに町の地図などはまだなかった。

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池の上に作られた立派なレストラン

 ホテルから約500メートル離れた三叉路近くに“Water World”と表記した、池の上に出来たレストランがあったので昼食をした。インド人らしい客が多く、100人は入れるくらいの広さで、夜は飲食兼用のクラブになるようだ。

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タム中心近くの丘の上に立つ古い見張り塔

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丘の上から見下ろしたタムの町

 昼食後、近くの丘に上って、見張り塔の上から街を見下ろした。タムの町は木が多くはっきり見えないが、もう戦争当時の残像はなく、かなり広範囲に広がっていた。

 1944年当時のインパール作戦中には、ここタムや隣のインド側の町モレーに沢山の日本軍人が駐屯し、インパール作戦の最前線は、モレーの低い山をもう1つ越したチャモールであったと言う。そして多くの戦病死者がモレー近辺に埋葬されているとのことだったので、タムからモレー近くまで行って見ることにした。

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インドとの国境の川沿いに立つ国境事務官 鉄橋の白い方がインド側

 私は三叉路近くで、体格の良い英語を話せる34歳のゾー・ミュー・メーンと言うタム出身で、チン族の男が運転する、サイカ(三輪タクシー)をチャーターして、モレー近くのナンファロー・マーケットへ案内してもらった。

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ナンファロー・マーケットの行きどまりにあるインドへの出入り口

 このマーケットはモレーに接しており、客の大半はインド側から来ているそうだ。マーケットの行き止まりが、インドへの出入口。係員に話しかけたのだが、インド側へは一歩も入れず、悪いことに、ここは外国人立ち入り禁止の地域だと言うことで、変な雰囲気になった。ゾー君が突然に私のメモノートを要求し、ここに来る前に立ち寄った国境事務所の移民官に、私の英文の名刺を渡した時に書いてもらっていた名前を見せ、彼の許可でここに来た旨を伝えると、係員が怪訝な表情で怯んだので、早々に引き返して助かった。

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マーケット沿いにある民家の屋上から見たモレーの町

 マーケットの途中にある民家に頼んで屋上に上げてもらい、インド側のモレーの町を眺めた。1944年7月に、インパール作戦を中止して日本軍がこの地から撤退して以来、日本人がこの地を訪れたのは、私が初めてではないだろうか。そんな思いにかられ、モレーに向かって両手を合わせて黙祷した。その後、タムに戻った。

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タムの大きな市場

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川魚を量り売りする女性

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自家製の食料品を売る女性たち

 1泊した翌日の早朝、1人で市場を見物した。市場の大きさと人出の多い活気からすると、2-3万人は住んでいる町なのだろう。

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自作の野菜を売る農家の人々

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市場では花も売られていた。

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朝市で「タビエ」と呼ばれる神柴を売る女性。

 日中は近郊の村々を、現地案内人と共に見て歩いた。タムには2泊3日滞在したが治安に問題はなく、無事であった。

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詳しくは拙著をご覧ください。