ミャンマー北部探訪㉜ ピュー世界文化遺産

 シュエボの町から25キロ東の平原の中に、紀元1世紀頃の“ピュー世界文化遺産”があると言うので見学に行くことにした。

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シュエボでチャーターした三輪タクシー 途中での修理中

 1月18日午前10時、三輪タクシーをチャーターして、モンさんの案内でシュエボを出発して、遺跡のあるハーンレンの町に向かった。山など見えない平坦な田園地帯を走る。何故か、道は舗装、未舗装が交互に続く。とにかく、悪路で三輪タクシーの揺れが激しく、のんびりとはゆかなかった。

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周囲5,6キロの城壁に囲まれていたピュー遺跡の図

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世界文化遺産標識前の案内人モンさんと筆者

 人口数千人の小さな町ハーンレンには午前11時20分に着いた。この町には13世紀のパガン時代の遺跡もあった。町から2キロ程離れた平地には、赤茶けたレンガを積み上げた王城の城門近くの壁跡があった。紀元1世紀頃、この地方で栄えたピュー時代の古びたレンガの、高さ5~60センチの壁が残っているだけで、他には見る物はなかった。しかし、いずれにしても2000年も前のレンガの壁がそのまま残っている。

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2000年前の城門近くのレンガの壁と石畳

 ピュー時代のこの城塞都市の城壁の長さは5~6キロもある巨大なもので、大変珍しい貴重な遺跡なのだそうで、ユネスコ世界文化遺産に認定していた。その立派な標識が城門跡近くに建立されている。しかし、まだあまり知られていないので現地の人々や国際的な観光客はなく、我々だけで閑散としていた。

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草木が生えて荒れ地になっている城壁内を、のんびり進む牛車 

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世界文化遺産標識前の筆者

 事務所や説明する人はなく、囲いはあるが、鍵がなく誰でも自由に中に入れる。ユネスコ世界文化遺産に指定し、立派な石の標識はあるのだが、野ざらし状態である。

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城壁の南側にある宗教儀式が行われたであろう場所の遺跡

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宗教儀式に使われたらしい8本の石板

 城門近くの城壁の外の南側に、古代からの墓地があり、現場を家で囲んで、そのまま博物館になっていた。現場の案内人と共に中に入って説明を受けた。

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博物館内の墓地を上から見た様子

 なんと一番上の層が紀元1世紀のピュー時代で、焼いた骨を壺に入れて埋葬している。2層目は鉄器時代、3層目は銅器時代で、死体と共に銅製品が多く埋められている。一番下の4層目が石器時代で、遺体がそのまま埋められていた。乾燥した砂地なので、保存が良かったそうだ。なんと石器時代までが同じ場所に層になっていたそうで、そっくりそのまま層にして保存しているのだと言う。

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階層になった古代の墓

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一番上のピユー時代の骨壺

 この辺で発掘された出土品の多くが別の博物館に陳列されていたが、その多さと多種にわたっていたのには驚かされた。何より、山もない、海から1000キロ近くも離れた平 原の地に、何故に石器時代から絶えることなく人が住んでいたのか、それに紀元1世紀頃には大きな城塞都市があったのか、大きな疑問を感じた。案内人に尋ねるとその疑問を解く鍵は、町の中心から1キロ程シュエボの方に戻った所にあった。

 道から右側(北?)へ2、300メートル離れた低い丘の所に古い民家の村があった。その丘の手前下には温泉や冷泉が湧いていた。古代から湧出しているそうで、温泉は摂氏35℃~43℃くらい、冷泉は普通の良質の水である。

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  温泉に浸かる村人

 ここから東へ13キロにはエーヤワディー河があるが、山も川もない乾燥した大平原の中である。しかし、この近辺には至る所に湧水池があり、その水を利用した農業が古代から盛んであったそうだ。

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向こうのプールは温泉 手前の穴は冷泉

 温泉場と道の反対側には、塩分を多く含んだ大地があった。この土を水に溶かし、その水を濾して天日で乾かすと、普通の白いきれいな塩になるそうだ。ここには古代から採塩場があり、今も採塩されている。と言うことは、生活に必要な食料、水、塩が揃っていたということだ。

 これで、この地には石器時代から人が住み、1世紀頃のピュー時代には、巨大な城塞都市があったことが納得できた。このピュー世界文化遺産のある地域は、古代から人が住むに都合がよい自然条件の揃った、熱帯に近い場所であった。