東アジア

ミャンマー北部探訪⑮ ミングオンの大鐘

マンダレーから10キロほどエーヤワディー河をのぼった川沿いにあるミングオンは、王都になったことはないが、史跡があり、マンダレーから近いこともあって有名な観光地になっている。 マンダレーから対岸のミングオンにわたる筆者 私はマンダレーから船で…

ミャンマー北部探訪⑬ 僧院の僧侶たちの食事

ウー・ベイン橋を見終えて、車に10時に戻ると、運転手が、僧院の僧侶たちが10時15分から一斉に食事をするので、是非見るようにと勧めてくれた。彼の案内で橋の近くにあった大きなマハーガンダーヨン僧院を訪ねると、すでに沢山の観光客が取り巻いてい…

ミャンマー北部探訪⑫アマラプラのチーク材の橋

マンダレーの周辺には、シャン族・モン族・ビルマ族などが都にした町が3カ所ほどあり、その1つがアマラプラの町。 アマラプラのタウンタマ湖 マンダレーから11キロほど南にあるアマラプラは、エーヤワディー河とタウンタマン湖に挟まれた所にある。ここ…

ミャンマー北部探訪⑪ ザガイン・ヒルの日本兵墓地

マンダレー南部郊外のエーヤワディー河の対岸にあるザガイン・ヒルは、沢山の仏塔が建っていることで有名なのだが、日本人にとっては、旧日本軍兵士の墓地があることで知られている。 マンダレー側から見たザガイン・ヒル ザガイン・ヒルの仏塔群 ザガインの…

ミャンマー北部探訪➉ 衣類の多様なデザイン

マンダレーのゼーチョー・マーケットの隣りにあるショッピングモールの中の衣料品市場をのぞいてみると、通り狭しと衣類が陳列され、多くの女性で混雑していた。 ショッピングモール「ミヤンマー・ラザ」の入口 ショッピングモールの中の衣類街 所狭しと並ん…

ミャンマー北部探訪⑨ マンダレーの王宮

マンダレーは、ビルマ族最後のミンドン王によって、1851年に建設され王宮のある古都。その王宮の敷地は一辺が2キロもある正方形で、高さ8メートルの赤いレンガ造りの厚い壁に囲まれている。その壁の外には水を湛えた幅70メートルもの大きな堀が巡ら…

ミャンマー北部探訪⑧ マンダレー・ヒル

マンダレーの中心街から北へ5、6キロ離れたマンダレー・ヒルまでサイケ(オートバイタクシー)を雇って行った。 1978年1月当時の王宮の堀から北を見上げたマンダレー・ヒル マンダレー・ヒルの下から中腹を見上げる ヒルの入り口には大きな2頭のライオン…

ミャンマー北部探訪⑦ 市場で働く女性たち

マンダレーにはいろいろな人々が住んでいる。ビルマ族、シャン族、カチン族、モン族、インド系、中国大陸系、バングラディシュ系など多民族の顔や衣装が溢れている。しかし、はっきり見分けるのはたいへん難しい。まずは、ゼーチョー・マーケットの市場で働…

ミャンマー北部探訪⑥ ゼーチョー・マーケット

私は、マンダレーには5度訪れ、便利なのでいつも旧市街にあるニュースター・ホテルに泊まった。ホテルの目の前には、マンダレーで一番大きなゼーヂョー・マーケットがある。 ゼーチョー・マーケットでのバナナ売り オートバイタクシーは、人も荷物も運ぶ タ…

ミャンマー北部探訪⑤ 古都マンダレー

ミャンマー東北の町チャイントンからヘイホー経由でビルマ族の都であったマンダレーに飛んだ。 モダンなマンダレー駅舎 ミャンマー北部の中心地マンダレーは、もともとビルマ王国の首都であった。人口100万人だそうだが、その3分の1が中国大陸から南下…

ミャンマー北部探訪④ 多民族が集う市場

朝8時、“シャン・マーシェチジー”と呼ばれる、チャイントンの中央市場を訪れた。朝の市場には、周辺の山岳地帯から1万人ものいろいろな民族が集まると言われていたが、噂に違わず多種多様な民族が集まった活気のある、大きな市場があった。 チャイントンの…

ミャンマー北部探訪③ チャイントンの街

タチレイの町から約160キロ北のチャイントンまで、バスで4時間余りかかった。 チャイントン郊外のバスターミナルに着いたが、一般的に外国旅行者が訪れることは出来なかった町なので、町に関する情報はない。ミャンマーはイギリスの植民地であったので、…

ミャンマー北部探訪② タチレイの寺院巡り

東南アジアのラオスやタイにも多い、小型トラックや小型三輪のタクシー”サイカ”は、安いが乗り心地は良くない。20代と思える人の良さそうな青年が、200バーツ(約650円)で半日市内観光するというので、彼の運転する車に乗った。 華やかな色彩のダイ…

ミャンマー北部探訪① 国際都市タチレイ

タイとの国境メーサーイ川にかかる幅50メートルほどの橋を渡ってミャンマー側の町タチレイに入った。 タイ国との国境”メーサーイ川” 国境事務所を越してミヤンマー側の町タチレイの入口 毎日大勢のミャンマー人が給料の良いタイ側に出稼ぎに行き、沢山のタ…

ミャンマー北部探訪 序章

はじめに 私は1965(昭和40)年2月に初めてビルマ(現ミャンマー)を訪れて以来、日本の民族的、文化的源流を探捜する目的で、中国大陸東南部から南下してきたと思われる、ミャンマー北部の山岳地帯に住む、越系民族を踏査することもあって、これまで…

ユーラシア大陸横断鉄道の旅⑭ 新義州→丹東

新義州の駅を出ることは出来なかったが、改札口までは行けた。主にプラットホームを歩きながら出発を待った。 新義州駅の出口に立つ筆者 汽車は午後5時10分に新義州の駅を発った。間もなく鴨緑江にかかる鉄橋にさしかかる。幅500メートルほどの川は、…

ユーラシア大陸横断鉄道の旅⑬ 平壌→新義州

平壌駅は、外観は大変立派なのだが、校内には市民生活を潤すものがなにもなく、時刻表や運賃表すらない。まったく殺風景な構内だが実に広々としている。 立派な建物の平壌駅 駅構内で切符を求める人たち 平壌駅の改札口 だたっぴろいプラットホーム 平壌駅の…

ユーラシア大陸横断鉄道の旅⑫ 平壌

4月23日の平壌は快晴だった。新義州への汽車の発車時刻は正午なので、午前中に市内見物をする。 町は、5年前に訪れた時よりも活気があり、人や物が多く、ずいぶん明るい雰囲気になっている。5年前と比べると、車の数が増え、信号機が設けられ、バスの運…

ユーラシア大陸横断鉄道の旅⑪ 開城→平壌

ユーラシア大陸横断鉄道の旅を、開城の町から再び始めるために、ずいぶん遠回りをさせられたが、鎖国状態のような北朝鮮を、こうして旅が続けられることだけでも幸運なのかもしれない。 金日成主席の若き日の写真を正面に掲げた開城駅には、構内に時刻表はあ…

ユーラシア大陸横断鉄道の旅➉ 開城→板門店

平壌からの夜行列車は、4月22日午前6時に着いた。開城には外国人旅行者用の車がないので、ソウルから来た車と太さんが待っていた。私は、その車で太さんと共に駅から民族旅館に直行した。 早朝の開城駅 開城の民族旅館 民族旅館の筆者が逗留した部屋 部…

ユーラシア大陸横断鉄道の旅⑨ 仁川→威海→煙台→北京→平壌

板門店を越えて北へ行けないので、仁川から中国・山東半島の威海へフェリーで渡ることにした。 4月8日の朝、ソウルは小雨まじりであったが、50キロ離れた仁川に11時半に着いたときにはもう晴れていた。 仁川の港のフェリー乗り場の入口 仁川港で中国の…

ユーラシア大陸横断鉄道の旅⑧ ソウル

板門店を通過して北へ行くことができないので、仁川から黄海を渡って中国の山東半島の威海の町に行き、北京経由で北朝鮮の平壌に行く方法しかない。仕方なくソウルで一泊することにした。 街中から見たソウル駅 日本時代の古くからあるソウル市庁舎 市庁舎前…

ユーラシア大陸横断鉄道の旅⑦ 板門店南側

ソウルから北へ60キロの道程にある板門店には、個人が自由に訪れることはできない。外国人ならば、大韓旅行社(KTB)が取り仕切っている1日バスツアーに参加して、土曜、日曜、祭日以外の日には訪れることができるが、韓国人はまだ行くことができない…

ユーラシア大陸横断鉄道の旅⑥ ソウル→汶山

私は、その日のうちに韓国最北端の駅「汶山」まで乗り継ぐ予定になっていた。出発時刻は午後5時。朴さんの案内で急いで汶山行きの普通列車に乗り換えた。 汶山行きのプラットホーム入り口 汶山行きの汽車 車両は見るからにローカル線らしく、扉の開閉もまま…

ユーラシア大陸横断鉄道の旅⑤ 釜山→ソウル

釜山駅 フェリボートの中央埠頭近くにある釜山駅に、午前11時40分に着く。金さんの案内で改札口を入り、すでに入線していた韓国版新幹線「セマウル号」の5号車17番の座席に荷物を置いた。列車は流線形ではなく、紺色の普通の客車が箱形のディーゼル機…

ユーラシア大陸横断鉄道の旅④ 釜山

フェリー発着場出口の前からタクシーに乗った。中央洞の市庁舎前を通って、南浦洞の映画館街でタクシーを降りた。ここで金英姫さんの知り合いのカバン屋に私の荷物を預けた。 南浦洞の映画街 街頭に座り込んで商売するおばさんたち 彼女の案内で町を見て歩く…

トラジャ族の米倉と崖墓(1987年1月)スラウェシ島

インドネシア北東部のスラウェシ島中央高地に、トラジャと呼ばれる民族が住んでいる。トラジャ族は、周囲の諸部族とは異なった風習があり、20世紀に入るまであまり知られておらず、謎の民族として、その由来は今もはっきりしていない。 私は、1987年1…

ラマ教の歓喜仏とレーの町(1976年9月)ラダク・インド西北部

私はブータンを訪れた後、同じラマ教文化圏のインド西北部にあるラダク地方を、1976年9月に訪れた。ラダクは、もともと西チベット高原の一部で、カシミールの首都スリナガルから標高4,000m以上もの峠を越して行く高地。9月末にはもう寒く、5・6…

ミャンマー西北部の町プーターオ(2017年11月)

2017年11月24日から、ミャンマー北部の民族踏査に訪れ、中央部のマンダレーから北のミッチーナに飛んだ。カチン州都のミッチーナから更に北西へ約200キロ離れた、インドとの国境の町プーターオへは、山また山の悪路で、外国人が陸路で行くことは…

カチン州の踊る祭典”マナウ”(2015年1月)

ミャンマー北端のカチン州には沢山の部族が住んでいる。カチンは、英国植民地時代につけられた名称で、今はミャンマー語になっているが、カチン州の人々は自分たちをカチンと呼ばず、それぞれの部族名、例えば、ジンポー・タイ.リスー・ロワン・アジン・ト…