ユーラシア大陸横断鉄道の旅⑦ 板門店南側
ソウルから北へ60キロの道程にある板門店には、個人が自由に訪れることはできない。外国人ならば、大韓旅行社(KTB)が取り仕切っている1日バスツアーに参加して、土曜、日曜、祭日以外の日には訪れることができるが、韓国人はまだ行くことができない。私は、翌4月17日、ソウルから板門店を訪れることにした。
ソウルからバスで統一路を北へ向かう。汶山を過ぎてしばらく行くと、臨津(イムジン)江にかかる「自由の橋」を渡る。ここから先はしばらく撮影禁止。
38度線に沿った軍事境界線は、幅4キロ、長さは東西241キロに及ぶ。その中に設けられた直径800メートルの円形の共同警備区域が板門店である。
まず、アメリカ軍のキャンプで、スライドを見せられ、板門店についての研修を受ける。
「1945年9月2日の日本の敗戦によって、米ソ両国は、日本軍の武装解除作業の名のもとに、北をソ連、南をアメリカが担当し、38度線を便宜上の分断ラインとした。1947年、南に李承晩政府が誕生すると、北はソ連の後押しで、金日成を中心とする新政府が樹立され、38度線が事実上の国境線となり、南北に分断された。
1950年6月25日、北鮮軍が38度線を南へ突破することによって、朝鮮戦争が始まり、53年7月の休戦協定の結果、38度線が軍事境界となり、今日に至っている」
説明のあと、「国連は貴方の生命の保障に責任は持てない」という書類に同意するサインをさせられた後、国連軍将校用の食堂で、大きなビーフステーキとポテト、グリーンピース、人参などとパンのついた昼食をとった。
昼食後、バスの前を国連軍のジープがエスコートし、中にも軍人一人が乗り込んで板門店に向かう。
「個人的行動は厳禁。北に向かって手を振らない。笑いかけない。ガイドの注意を守る」
バスの中でこんな注意を受ける。
板門店についてバスを降りると、休戦委員会の専門ガイドがやって来て、さも重大なことのように、しかも慇懃(いんぎん)に案内してくれる。
簡易兵舎のような建物が五棟ほど東西に並んでいる。真中の建物が、テレビなどでよく見る南北の会議場。私たちは、案内されてその建物の中に入った。会議用の長いテーブルが休戦ラインの上にあり、建物の中央を南北分断ラインが通っている。
会議場内は中央線を越えて自由に歩ける。南からの訪問者があると北側の入り口を閉ざし、北からの訪問者があると南側の扉を閉める。
私は、半年以上も前から、両国にここから北へ通過させてくれるよう、日本の政治家などを通じて頼んでいたが、許可を得ることはできなかった。万策尽きて仕方がなく、この会議場内の南北分断ラインを南北からまたぐことによって通過の証明とすることにした。だから、これから5日後には、北から入ってこの分断ラインをまたぐことになっている。