ミャンマー北部探訪④ 多民族が集う市場
朝8時、“シャン・マーシェチジー”と呼ばれる、チャイントンの中央市場を訪れた。朝の市場には、周辺の山岳地帯から1万人ものいろいろな民族が集まると言われていたが、噂に違わず多種多様な民族が集まった活気のある、大きな市場があった。
300メートル四方くらいの広さに、大小さまざまの小屋や長屋のような家が並び、中に十字路があり、通りには店が無数にあって、いろいろな姿形をした人がごったがえしている。
野菜や魚類、野生の獣物や鳥、鶏の肉などの生鮮食品から、各種乾物、嗜好品、雑貨、衣類、軽機械類、家庭用具等、人間以外は何でも売られている。
一通り見て歩いた後、人通りの多い十字路の交差点に立ち、行き交う人々の姿をながめた。身長2メートルもある人から 140センチメートルの小さな人がいる。横綱のように肥えている人、やせた人も中肥りの人もいる。色の白い人、黄褐色の人、黒い人、鼻の高い人、低い人、モデルにしたいようなスタイルのよい女性など、本当に多種なのである(今日では多くの民族が同化して分かりにくいので、チャイントン博物館に展示されている民族人形を、許可を得て撮影したので紹介する)。
この町に最も多いシャン族にもいろいろある。彼らは自分たちのことを“タイ”と呼ぶのだが、TAI LAI やTAI NAY と言う北方系の人、TAI LOI やTAI LON と呼ばれる古くからシャン地方にいる人々、TAI KHUN と呼ばれるチャイントンで最も多いシャン族。TAI KHUN の彼らはタイ国人と同系の人々。TAI LON をジャインジーと呼ぶが、“ジー”とは大きい意味なので、同系でもタイ国系の人々を兄貴分と見なしているようだ。
その他にはアカ・ワ、ラワ、ヤオ・エン、そしてモンやバーマ(ビルマ)などの民族。長年アジアの少数民族を踏査しているが、これだけ多くの民族を同じ場所で、ほぼ同時に見ることはなかったような気がする。しかし、正確には見分けがつかなかった。
北方の辺境地であったこの地方では、5、60年前までは、これらの民族がお互いに住み分けて戦いが絶えなかったし、国民党の残党やシャン族とビルマ族政府軍とのゲリラ戦もあったが、南からやって来たビルマ族を中心としたミャンマー中央政府の武力と経済力、教育力によって、やっと統合され、今は、風俗習慣、宗教を超えて同化して市場に集まっている。この市場には、多民族の人々が、生きるために必要な営みが凝縮されている。それは、戦場のような光景でもある。
行き交う人々の中には、唇を赤くし、歯が黒くなっている人がいる。これはシャン語で“ビテル”と呼ばれる植物の葉で、ココナツと“トーフ”と呼ばれる石灰、“ナッセー”と呼ばれる液体の様な物を包んで、口の中に入れて噛む習慣があるからだ。一種の噛みたばこのようなもので、少々刺激がある。
周囲の山岳地帯から朝早くにやって来る人々は、午前10時半頃にはほとんど帰ってしまうので、市場は活気をなくし、しぼんだ風船のような雰囲気になる。