ミャンマー北部探訪㉓ 最北西端の町プーターオ
2017年11月24日から、ミャンマー北部の民族踏査に訪れ、マンダレーから北のミッチーナーに飛んだ。ここから更に北西へ約300キロ離れたプーターオへは、山また山の悪路で、外国人が陸路で行くことは禁じられている。
現地人も殆ど飛行機を利用するので、1日1往復の飛行便は、向こう3週間に空席なし。外国人はほぼ不可能に近いが、ミッチーナーの多くの人の協力を得て、特別に搭乗が許可されて、11月30日にプーターオを訪れ、3日間滞在することができた。
プーターオは、標高1200メートルで、周囲を山に囲まれた広い盆地で、シャン族中心に多くの民族が住んでいる、人口3万人の町。もともとはシャン族の大きな尊長がいた村“ブダオン”を、19世紀後半にイギリス軍が侵入して、“PUTAO(プーターオ)”と表記したための地名。とにかく、ミヤンマーでも最もへき地で、外国人などほとんど訪れることのない、最北西端の山の中の町プーターオの人々をまず紹介しよう。
シャン族も自称はタイ族なのだが、イギリス人たちが、“シャンとかシャム”と呼称。現在のプーターオの中心地は本来“タイ・ヤムティ”と呼ばれていた。“カチン”と呼ばれる、“ジンポー族”もイギリス人の呼称で、現地の人々は、シャンやカチンの意味は分からないと言う。
プーターオ地方には、大きく分けてシャン(タイ)、ミズー、カチン(ジンポー)、ラワン(ロワン)など4民族が混住している。イギリス軍が侵入して来るまでは、それぞれの民族が独立し、異なった言葉や風習があって、紛争が多かった。イギリス植民地時代になって、軍事力によって統合されて英語を話せる人が多くなり、紛争は少なくなった。
さらに独立後にはビルマ政府、そしてミャンマー政府の軍事力によって統合がなされ、今では学校でミャンマー語が教えられて、若い人たちは共通のミャンマー語を話せるようになっている。
ビルマ戦線において、旧日本軍は、こんな山奥の僻地までは来なかったのか、ここでは日本軍に関することは一度も耳にしなかった。
とにかく、多民族が混住する地域は、統合する軍事力がないと、不安・不信が強く、不安定な社会状態が続くのだが、今ではミャンマー政府の軍事力による統合が進んで、言葉・衣服・風習などが共通の生活文化となりかけている。