ミャンマー北部探訪⑯ 桜並木のあるピン・ウールイン
1981年1月、マンダレーから70キロ東のピン・ウールイン(旧名メイミョー、日本軍の司令所があった町)へ向かった。「ヒロミ・イン」という名の宿泊所は日本人が経営しているというので、予約の電話を入れておいた。
ヒロミ・インに着くと小柄で中年の美女が応対してくれた。日本人かと思いきやミャンマー人で、10年間大阪で働いている時、日本人技師と結婚して、数年前にミャンマーに戻り、夫と2人でヒロミ・インを始めたという。しかし、夫は今病気療養のためヤンゴンに滞在中なので、1人で経営の切り盛りをしているそうだ。
標高1,100メートルのピン・ウールインは、イギリス植民地時代から避暑地として有名な町であり、早くから西欧化していた。
イギリス統治時代からの旧名“メイミョー”は、“メイの町”、すなわちここを切り開いたイギリス人のメイさんの名前の町名であったので、独立以後、“ピン・ウールイン”、“ピン”は高原を意味するので“ウールイン高原”という地名に変更された。
ヒロミ・インから馬車で中心地に出た。市場や有名な時計塔を見た後、午後1時半に市中心地から約2キロほど離れた町の東側の林の中にある、ヒロミ・インに歩いて戻ることにした。
その途中、何度か桃色に咲いた桜の花を見た。特にサーキュラ通りに面した両側に桜の木が多かった。ここの桜は、山桜に近く、花が小さくて桃色なので、信州高遠のコヒガン桜のようで美しい。“チェリーバン”と呼ばれる桜は、12月から1月にかけて咲くそうで、もう終わりかけているとのことだった。
ここは、イギリス人の避暑地として誕生した町なので、植民地時代の建物が林の中に多く点在するのだが、1942年5月にマンダレー地方を制覇した日本軍も、いち早くこの地に陸軍の戦闘指令所を設置し、撤退するまでの約2年半の間、ミヤンマー北部戦闘指令の中心地としていた。
道沿いの林の中には、かつての立派な豪邸があり、桜と古い大きな邸宅を見ながら、地図を頼りにゆっくり歩いて、午後3時すぎに、やっとヒロミ・インにたどり着いた。