中国全国少数民族伝統体育運動会 開会式①(1982年9月)

1982年9月、中国の内蒙古自治区の首府であるフフホトで、国家体育運動委員会主催による、第1回「全国少数民族伝統体育運動会」が、9月2日から1週間開催された。 伝統体育運動会の表示 開会式におけるあいさつ 大会要人席 日本の45倍もの広さのあ…

中国大陸西端の町カシュガル(1994年8月)

私は、1994年8月27日、新疆ウイグル自治区のウルムチから汽車でカシュガルに着いた。着いてすぐに、ウイグル族の居住地域の中心地、エイディガール広場を訪ねた。 カシュガル中心地エイディガール広場に立つ筆者 イスラム教のエイディガール寺院 寺院…

ベセクリク千仏洞

トルファンから約50キロ北東の火焰山の北麓の谷間に、ベセクリク千仏洞がある。 火焔山北麓の谷間 谷間の上から見たベゼクリク千仏洞 ベセクリク千仏洞の始まりは、6世紀の高昌国時代で、最盛期は西ウイグル王国時代の9世紀頃。当時のウイグル族は仏教を…

高昌故城とアスターな古墳壁画

トルファンの町から東へ45キロの火焰山の麓にある高昌城は、前漢が紀元前68年頃、西の交河城の東師前王国に対して、屯田の兵が駐屯する要塞を設けたのが始まりであるとされている。 高昌の王城と町の遺跡についての説明版 トルファン盆地は、雨の少ない…

トルファンの交河故城

自然環境の厳しいトルファン盆地には、古代からいろいろな民族が住み、栄えては侵略を受けて滅びた国の遺跡が乾燥しているが故に今も残っている。 交河故城の入口にある案内図 交河故城への道 現在のトルファンの町の西14キロのところには、紀元前2世紀頃…

トルファンの歌と踊り

私はトルファンを1979年9月と1990年8月の2度訪れたが、トルファンを訪れると、歓迎用に必ず楽団付きの歌と踊りが催される。踊りはタンバリンを叩いてリズミカルにくるくる回るのが、ウイグルダンスの特徴。 葡萄だな下での演奏 日本からの訪中団…

トルファンのぶどう(1979年9月)

トルファン盆地は、8、9月を除いて1年中雨は降らないが、天山山脈の雪解け水を426本もの地下水溝で引いて、いつでも水が豊富であり、日照量に恵まれているので、農産物、特にぶどうには大変な好条件で育ち、トルファンの特産品になっている。 葡萄畑を…

トルファンの町の様子(1990年8月)

私は、新疆ウイグル自治区のトルファンには、1979年9月と1990年8月の2回訪れた。 新疆ウイグル自治区のトルファン駅 トルファンの漢字表記 トルファン盆地は、周りを丘や岩山に囲まれている。最も低いところは、海面下150メートルで大変暑く、…

赤褐色の火焰山(1990年8月)

私は、1990年8月に新疆ウイグル自治区のトルファンを訪れ、火焰山を見た。トルファン盆地にある火焰山は、草木の生えていない、南斜面の凹凸の襞が多い赤褐色の岩山。 トルファンから火焔山への道 遠くに見える山が火焔山 火焔山への標識 火焔山近くの…

万里の長城西端の嘉峪関(1990年8月)

私は、1990年8月、敦煌を見学した後、柳園駅から汽車で嘉峪関に向かった。 中国大陸西域の天下の関所、嘉峪関を一度見ておきたくて、単純な気持ちで訪ねた。 嘉峪関駅の標識 嘉峪関駅のプラットホームから見た嘉峪関 嘉峪関全景 嘉峪関の西側にさらに伸…

敦煌の鳴沙山と月牙泉(1990年8月)

私は敦煌には2度訪れた。2度目は1990年8月6日だった。敦煌のホテルに泊まって、翌8月7日は1日ツアーのバスで、敦煌の南約5キロの砂漠の中にあるオアシス月牙泉を訪ねた。 西安駅から乗った汽車を柳園駅で下車し、ここからバスで敦煌へ 二泊した…

上海 青年との交流(1984年10月)

10月6日朝、武漢を飛び立って、上海には昼前に着いた。上海空港でも、鳴り物入りの大がかりの歓迎行事が催された。北京、武漢、上海といずれの空港でも歓迎行事は大変華やかで、日本人の度肝を抜くように催された。 昼前に武漢から着いた上海空港 日本で…

武漢 青年との交流(1984年10月)

10月4日、我々一行は北京から武漢へ飛んだ。空港には沢山の若者たちが出ており、いろいろな行事で華やかに迎えてくれた。 武漢空港での出迎え 空港での大太鼓の演奏 空港での出迎えの人々 空港での出迎えに、小太鼓を打ち鳴らす少女たち 当日、湖北省博物…

日中青年三千人友好交流Ⅱ(1984年9月)

9月30日は、北京体育館での青少年による大歓迎会があり、歌あり、踊りあり、演舞ありで、至れり尽くせりの大変楽しい一日であった。 9月30日、北京体育館前の歓迎の様子 体育館の中 青年が手を携えて日中の平和、友好の21世紀を迎えようとの標語幕 日本人の…

日中青年三千人友好交流Ⅰ(1984年9月)

1984年(昭和59)年9月29日から10月8日までの10日間、中華全国青年連合会など、中国の3団体から招待を受けた日本の青年たち、総勢3000人に及ぶ訪中団が、北京を起点とし、西安、杭州、南京、武漢の4コースに分かれ、各地で熱烈な歓迎を…

中国内蒙古のモンゴル族⑦ モンゴル族のオボ祭(最終回)

私は、旧暦5月13日と定められた天神を祀るモンゴル族のオボ祭を参観しようと、1984年6月にまたもや内蒙古自治区を訪れた。 内蒙古のパルテルス平原 首府のフフホトから大青山を越え、モンゴル高原を北へ170キロ走ると、ハルテルス平原の中央部に…

内蒙古のモンゴル族⑥ モンゴル族の年始回り

1983年2月13日ウラントクでは、旧歴の元旦の早朝の祈りが終わると、年老いた者は横になるが、未婚の男女で気の早い者は親戚や親しい友人の家に年始回りを始める。 雪原の中の村 旧正月元旦の朝、雪原に立つ筆者 零下30℃の、肌を刺すような張り詰め…

中国内蒙古のモンゴル族⑤ モンゴル族の大晦日

1983年2月12日は旧暦の大晦日であった。私はモンゴル族の大晦日や新年の様子を見たくて、内蒙古自治区の区都フフホトを訪ねた。フフホトのホテルも役所もすべてが春節(旧正月)休みで、私1人のために2日前からホテルの料理人が3人残っていた。朝…

中国内蒙古のモンゴル族④ チリンゴルの羊飼いと馬養い

牧畜民の1日は朝が早い。昨夜ナスンさんのゲルに泊まった私は5時に起き上がった。外に出ると、ノルマさんがすでにゲルの近くで牛の乳を搾っていた。 早朝に牛の乳を搾るノルマさん 平原の日の出 朝日に映える隣の牛飼いドクルさんのゲル 夜明けの羊たち 9…

中国内蒙古のモンゴル族③ チリンゴルのゲル生活

1982年9月9日の朝、シリホトの町から東北へ100キロのチリンゴル人民公社を訪れた。ここは南モンゴル高原で最も豊かな地方で、戦後まだ外国人が一度も訪れたことがないという。 モンゴル服を着た馬上の筆者 チリンゴル人民公社の所長イエさん(50…

中国内蒙古のモンゴル族② タブシルのナダム

中国の内蒙古自治区は、日本の3倍にあたる広大な高原に約1900万人が住んでいる。大半が第2次世界大戦以後に南から移住してきた漢民族系の農耕民で、騎馬民族の末裔である。牧畜民のモンゴル族は、約200万人に過ぎない。それでもまだ自治区全体で約…

中国内蒙古のモンゴル族① モンゴル族の角力(すもう)

1982年9月初めに、中国内蒙古自治区の区都フフホトで、「全国少数民族伝統体育運動会」が開催されることを北京で知った。 全国少数民族伝統体育運動会場 アジア諸民族を踏査している私にとって、中国大陸の各民族が一堂に集まって、伝統体育を披露する…

ミャンマー北部探訪㊹ 最終地ホマリンへ(最終回)

12月19日午後2時17分トンヘを出発し、55キロ川上の最終地ホマリンに向かった。船長は、川の流れが浅くなっている所が多いので、何としても明るいうちに着きたいと、スピードを上げた。 鶏のケージを満載して川上に向かう船 船行中に何度かベニヤ板…

ミャンマー北部探訪㊸ トンヘ村のナンデモウ寺院

12月19日午前6時過ぎに目が覚めた。3泊したパウンピンのゲストハウスを7時に出て、チンドゥイン川沿いにある店で、ラーメン風のモヒンガーを2杯も食べた。 濃霧の中を進む舟 午前7時半に40キロ川上のトンヘに向かって出発した。このところ早朝は…

ミャンマー北部探訪㊷ 藩王の村タウンダット

12月17日、宿泊した左岸にあるバウンピンの町で朝食してから、20キロ川上のタウンダットに向かった。そして、右岸のやや高くなっているタウンダットの村に9時50分に着いた。着いたと言っても川岸には何もなく、砂地に乗り上げたのである。 パウンピ…

ミャンマー北部探訪㊶ 日本兵の遺体を川に流したヘロー村

シッタンを12月16日の午後3時半に出発し、右岸にあるヘロー村の船着き場には4時20分に着いた。 途中で見かけた小さい川舟 川を下る貨客船 船着場から砂地の斜面を200メートルほど歩いて上がると、広い平地になっていた。ここは雨季には水没するが…

ミャンマー北部探訪㊵ 日本語を話すシッタンの老人

12月16日、午前8時前にモーライクを出発し、午後2時半にシッタンに着いた。 シッタンに向かう途中出会った貨客船 船は寺の南の砂浜に乗り上げて接岸した。高さ8、9メートルほどの堤の坂道を登ったところで迎えてくれたのは、この1月にも案内してく…

ミャンマー北部探訪㊴ 日本の敗残兵が埋もれたモーライク

12月15日、午前11時過ぎにカレワから北のモーライクへ向かった。 カレワの数キロ川上には、チンドゥイン川に架かる2番目の橋が建設中で、日本の会社もかかわっており、もうかなり工事が進んでいた。 建設中のチンドウイン川第二の鉄橋の東側 建設中の…

ミャンマー北部探訪㊳ 大蛇のいるシュエジン村

チンドゥイン川の左岸にあるシュエジン村は、南北を低い砂岩の山に挟まれた谷間にあり、入口は幅200メートルくらいで狭いが、奥行きがあるのか、小川が流れ出ており、砂の多い重厚な砂地が続いている。カレワから10数分下って来た船は、その砂浜に乗り…

ミャンマー北部探訪㊲ カレワの町

カレワはチンドゥイン川沿いの古い小さな町で、外国人が泊まれるようなホテルはなかった。ここから45キロ西のカレーミョまで行き、そこのモダンなホテルに泊まった。 舟から見たカレワ全景 船溜まりが二つの川の合流点 12月15日、カレーミョからメタ川…