第二次世界大戦後、戦争に負けたドイツは、東ドイツと西ドイツに分離されたが、首都であったベルリンも東西に分離された。
東ドイツは、1961年8月13日に、東西ベルリン間の通行を遮断し、西ベルリンの周囲を囲むベルリンの壁を建設した。実質、東ドイツ市民の西側への出国を阻止する手段であった。が、東ベルリンからこの壁を越えて西ベルリンに脱出しようとした多くの東ドイツ市民の犠牲があった。
そして、その27年後にもなると、抑圧された東ドイツ市民の大量出国の事態にさらされた東ドイツ政府は、1989年11月9日に、やむなく出国の規制を緩和する改正案を決議して、事実上、ベルリンの壁は崩壊し、その日のうちに、国境検問所が開放された。
私は、その翌年の1990年5月14日に西ベルリンを訪れて、ベルリンの壁の崩壊半年後の現場を見た。壁には多くのメッセージが書き記されていた。