地球へめぐり紀行

新制中国の望郷編

石造りの街バレッタ(2003年1月)マルタ

 私は、2003年1月26日午後1時半発のJAL407便で成田を出発し、ドイツのフランクフルトでマルタ航空のKM329便に乗り換え、同じ日の午後10時にマルタ国際空港に着いた。日本よりも8時間遅いので、なんと16時間30分もの長い旅であった。

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石造りの町バレッタ

 あいにくの肌寒い雨で、暗くて何も見えなかった。初めての訪問で地理がよくわからなかったが、すぐにタクシーに乗る。7キロ離れた首都バレッタの中にあるオスボンホテルの5階に泊まる。風が強く、1晩中ガラス窓を叩く音がした。

 翌27日の朝にはまだ小雨が残っていた。9時に国営旅行センターを訪れると、若い女性が親切に対応してくれた。子どもこの野外伝承遊びの現状について調査したいので40代以上の通訳兼案内人を紹介してくれるように頼むと、彼女は何本か電話をしてくれた。20分もしないうちに人を捜してくれ、午後1時から市内を案内してもらうことになった。

 小雨に濡れ、石造りの家が立ち並ぶ古い街を歩いて見る。正午前に雨が止ったのでタクシーをチャーターして約20キロ西のクレンディ地方にある5,000年程前のハガールキム神殿とムナイドラ神殿の遺跡を見た。

マルタ島は、「地中海のヘソ」と呼ばれて古くから知られており、紀元前3000~2500年頃の、世界最古のハガールキム石造神殿があり、巨石文化を築き上げた人々が先史時代から住んでいた。

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石垣による段々畑

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世界最古の巨石文化としてのハガールキム石造神殿(紀元前3000~2500年)

  有史以来、フェニキア人・ギリシア人・カルタゴ人・ローマ人・アラブ人・ノルマン人・カステリア(スペイン)人などが相次いで侵略して占領したが、長くは続かなかった。

 マルタにとって重要な歴史は、キリスト教徒の「十字軍」の支援団体であったヨハネ騎士団が、1522年に、イスラム教徒のオスマントルコ軍によって、ギリシア南東部のロード島から追い出された後、神聖ローマ皇帝カール五世からこの地を貰い受けて移住してからである。

 ヨハネ(マルタ)騎士団は、さっそく商業と交易を盛んにし、新しい病院や要塞の建設に力を注いだ。1565年には、トルコの大軍に3ヶ月間も包囲されたが、シシリア島からの援軍もあり、かろうじて勝利した。その後はマルタ騎士団によって支配されて繁栄したが、騎士団の士気や道徳が徐々におち、1798年にはフランスのナポレオン軍の侵入を許し、268年間も続いた騎士団のマルタ支配は終り、フランス領となった。しかし、その2年後の1800年には英国の保護領となって160年以上も続いた。そして、1964年に独立を宣言し、1973年にマルタ共和国となって憲法を発布した。

 マルタは、イタリアのシシリア島の南96kmの地中海にある小さな島国で、面積は僅か316㎢、淡路島の半分余りの広さである。人口は約40万人で、北アフリカ系、中近東系、ヨーロッパ系の人々が住んでいるが、97%以上がカトリック教徒である。首都バレッタは、16世紀中頃に作られた古い城塞都市で、住民は石造りの家が多い古い市街からどんどん城外に出るので、今では人口7,000人である。しかし、政治的主府なので人々の多くは外からバスで通勤をしている。公用語はマルタ語と英語。5つの小さな島からなるが、いずれも砂浜は少なく、深い入り江が島を取り巻いている。

 石灰岩が隆起したマルタ島には山も川もなく、最高地点が海抜275mの低い丘がいくつかあり、斜面には石を積み上げた段々畑が続いている。

 年間降雨量は僅かに578mmで、平均気温は摂氏14度。気候は温暖で、一年中暖かな陽光がある。そのため、ヨーロッパ諸国から年間120万人もの観光客が訪れる。産業は古来からの農業と漁業の他には造船業と観光業があるだけで、経済力は弱い。

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バレッタの中心街

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路傍のマリア像

  午後1時すぎにホテルに戻るとカルメン・ディフェサ女吏(46)がロビーで待っていた。すぐに打合せをし、私の取材目的を伝え、理解してもらった。しかし、今日は、天候が悪く、風が吹いて肌寒いので、子どもが外に出て来ないだろうとのことだった。 とにかく、2時過ぎには子どもが学校から家に帰ってくるからということで、街中を歩いた。しかし遊んでいる子どもは見かけなかった。そして、午後4時からマルサムシェツト地域の海岸にある子ども運動広場を訪れた。彼女によると、東南北の3方を高いマンションに囲まれ、西は海岸に通じた住宅地域のこの運動広場に、夕方は必ず子どもが集まるということで、数十分も待っていると、4名の小学低学年生が来て、ブランコや滑り台、吊り輪等の設置された遊具を使って遊び始めた。やがて2人の男の子が来て、運動広場の緑色に加工された地面に、白い線で描かれた図面の上を片足で跳びながら遊び始めた。それは、日本にもあるケンケンパ遊びの“片足跳び”である。

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バレッタで最も有名な子供の遊び「パシオ(けんけんぱ)」をするオリンスキ君

 彼女に通訳してもらって尋ねると、“パシオ”という遊びで、男女混合でやるが、今日はマルキュオル君(13)とオリンスキ君(13)の2人だけだという。この遊びは常設された図があるので、いつでもやるが、今日は寒いので他の者はしないという。パシオはバレッタで最もよく知られていた遊びで、市が常設用の図を描いて奨励している。

 他にどんな遊びがあるか尋ねると、“ノーリ”と呼ばれる、かくれんぼ、それに“ボッチ”というビー玉遊び、そして、日本の“かごめかごめ”と同じように円陣になって歌を歌いながら遊ぶ“デインイヅダッア・ミンタイレグ”があるという。

 約1時間彼らの遊びを観察し、通訳のカルメン女史も交えて聞き書きをし、撮影した。マルタの子どもたちの遊びは、殆ど男女の区別がなく混合で行われるそうである。 肌寒い1日で、5時半には薄暗くなって、ホテルに戻った。

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ハガールキム石造神殿前の筆者