古き良き時代のオセアニア㉘ パプアニューギニア
ワウの金塊
私は、オーストラリアとニュージーランドの旅を終え、早朝シドニーをボーイング727で飛び立って、パプアニューギニアの州都ポートモレスビーに正午にたどり着いた。そして、その日の午後2時半に、東ニューギニア東南部の山岳地ブロロに向ってポートモレスビーを飛び立った。アンセット・マルの20人乗りダグラスDCは、カーゴも兼ねていて、6人しか乗っていなかった。
眼下には果てしもなく、ジャングルが続いていた。ジャングルを切り開いた大きな谷間の中にある木材の町、プロロには4時半に着いた。
プロロからマイクロバスでワウに向かった。道は渓谷の川沿いに走っていた。川には原始的なつり橋があり、谷間にはフープパインやクリンキーパインなど背の高い木が生えている。
雨も降っていないのに、川の水がドロ濁りなので不思議に思ってドライバーに尋ねたら、川上で金を掘っているからだと言った。
私は、海抜千メートルのコーヒー畑と小高い山に囲まれたワウに着いて、古いワウ・ホテルに部屋を取った。すぐにカメラを持って外に出た。街を歩いていると、ワウ・クラブがあったので中に入った。私はサイン帳にサインさせられた。
「トウキョウからか?いつ来た」
「今日、たった今です」
私は、六カ月間のオセアニア旅行が終わって、帰路にあったがそう言った。
中にはカウンターに8人の壮老男子と1人の婦人が坐ってビールを飲んでいた。私は、彼らと打ち解けるのに十分とかからなかった。自己紹介をして、ワウを見物したいのだがと言った時、マルコムさんが、では私がと立ち上がってくれた。そして、車でいろいろと案内してくれた後、夜、家に遊びに来るよう誘ってくれた。
白人が300人、原住民が1500人のワウには映画館などない。ただゴルフクラブと、小さな公民館のようなワウ・クラブがあるだけなので、夕食後、マルコムさんの家を訪ねた。
ワウはニューギニアでただ1つの金鉱の町で、マルコムさんは1926年に、オーストラリアのシドニーから父とこの地にやって来て採金をしていた。現在は採金が少なくなったので白人のほとんどが去ったが、今いる白人は皆コーヒー栽培をしているので、金鉱の町は農業の村に変貌しているとのこと。
マルコムさんはコーヒー栽培をしながら、まだ採金もしている。奥さんがコーヒーを
入れてくれた後、マルコムさんが突然言った。
「金を見るかね。この数日間で集めたのがあるんだよ」
彼はそう言って立ち上がり、革製の袋を運んできた。そして、砂金や金塊を見せてくれた。
「この金をどうするんですか」
「私の自由には出来ないんだよ。オーストラリア政府に送らなけりゃならんのでね」
マルコムさんは政府から金の代金をオーストラリアドルで貰っていた。
「1つ土産にあげるよ。しかし誰にも言ってはだめだよ」
彼は笑いながら、親指大の金塊をくれた。
その翌日、彼が採金している現場に行って、砂金を鉄鍋で採らせてもらった。このときも彼はウインクして、「秘密だよ」と大豆大の砂金をポケットに入れてくれた。
彼の息子は、オーストラリア本土で大学を卒業して以来パースに住んでいるが、もう十年以上一度も故郷に帰らない、と淋しげに言った。
「私は死ぬまでここに住むよ。ここが私の国なんだ。もし、ニューギニアが独立したら私はニューギニア人になる。その覚悟はできている」
彼は私を見て笑った。ニューギニアの静かな夜、2人でテーブルに向かいあって座り、スコッチを傾けていると、白髪の多くなった父と話しているようであった。