分割されたニコシア(2003年1月) キプロス

 私は、2003年1月28日の朝9時20分マルタ発の飛行機に乗り、ローマの新空港FUIUMICIONOに11時に着いた。しかし、キプロス航空のパイロットのストライキで5時間足止めをさせられた。午後4時30分に飛び立った飛行機は、2時間45分の飛行でキプロスのラルナカ国際空港に午後7時15分に着いた。キプロスは日本との時差7時間、イタリアより1時間早いので、現地時間は午後8時15分であった。入国手続は、入国カードに必要事項を記入するだけで、大変簡単であった。私にとって141番目の訪問国となったキプロスは、日本の大使館も領事館もなく、情報が大変少なかった。外は暗く、地理が判らなかったが、飛行場のタクシー乗り場でタクシーに乗り、約60km北の首都レフコシア(ニコシア)に走らせ、40分で予約しておいたカステルホテルに着いた。

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レフコシア(ニコシア)の地図 東西に南北分割のグリーンベルトが走る

 キプロスは1960年8月16日、イギリスより独立してキプロス共和国となる。しかし、その後、少数派のトルコ系住民との間に対立が見られ、1974年にトルコ軍がキプロス北部を占領し、1983年に「北キプロストルコ共和国」として、キプロス共和国から一方的に独立を宣言し、今に至っている。そのため、16世紀に作られた首都レフコシア(二コシア)の円型城塞都市は北と南の半分ずつにグリーンベルトで分断され、南側には今も国連軍が駐留している。

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南北分割線上の破壊された家

 人口約76万人のキプロスの主な産業は農業で、小麦・オリーブ・綿・果実が栽培され、ワインが生産されている。島の南側では観光業が発展し、キプロスの経済を成長させている。

 翌28日朝、ホテルのカウンターにいた31歳のキリアゴ氏に話しかけた。彼は英語と片言の日本語を話した。子どもの遊びの調査をしたい旨を伝え、40歳以上の通訳兼案内人を捜してくれるように頼む。彼は大変明るく友好的な人で、キプロスに来てくれたことを感謝すると言いながら積極的に電話をかけて人を捜してくれた。その人は午後1時にホテルのロビーに来るという。私は午前中1人でレフコシアの街を歩いて見て回った。

 午後1時、ジョージア・コンスタンチーと名乗る47歳の英語の上手な細身の女性と会った。黒髪で鼻が高く面長、少々クールな感じの彼女に取材目的を30分間説明した。そしてホテルから1kmくらい離れた新しいレフコシアにあるアイコースアンドレアヌ小学校を午後2時頃訪ねると10数名の子どもたちが水道のある校庭の一角で泥遊びをしていた。しばらく眺めていたが、係員に相談して撮影させてもらい、子どもたちに話しかけた。初めは緊張してなかなか話してくれなかったが、ポラロイドで撮影し、その写真を彼らに見せると、自分を撮るようにとポーズをとり、通訳との会話がスムーズになった。

彼らが時間をかけて作った“ラスポメニポ”と呼ばれている“泥の町”には、池や川、山があり、火口まで作ってあった。

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泥の町を作る子供たち

 午後3時半から、彼女の車で、旧市街の北東はずれにあるポリオスポロスパルコ(北極公園)を訪ねた。ここは彼女の夫の生地で、30年前は村であったそうだが、今ではレフコシア市で、立派な住宅地域である。しかし、その約500m北には北キプロスとの境である“グリーンベルト”が続いていた。そのために“北極公園"と呼ばれるのだそうだ。

 午後4時頃から子どもたちが集まって来て走り回ったり、木登りをしたり、常設の遊具などで遊び始めた。どこでもそうだが、子どもたちは一般的に常設の遊具を使って遊びがちである。

 しばらく様子を見ていたジョージアが、3人組の女の子たちに話しかけると、彼女たちは、キプロスの伝承遊びを次々に披露してくれた。

 彼女たち、ステラ(12)、エレ(11)、ワサ(10)が、まず最初にしたのは“パチド”と呼ばれる“足踏み”であった。これは何人でもできるが、だいたい3~10人が歌を歌った後でお互いの足を踏み合い、踏まれた方が負けで、遊び仲間から離れる。最後に残った者が勝者である。大変活発な野外伝承遊びで、この辺の子どもが今もよくやる遊びだそうである。

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パチドと呼ばれる足ふみ競争をする子供たち

 30分もすると他にラファエラ(10)という女の子とディミトリ(9)という男の子も加わって、“リキケアリニヤ(狼と羊)”と呼ばれる追いかけっこをして公園内を走り回っていた。子どもたちは5つの遊びを次々にやってくれ、5時半にはうす暗くなり、皆が家路についた。

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公園内で追いかけっこをする子供たち

 案内してくれたジョージア・コンスタンチー女史は、公園で遊ぶ子どもたちの姿を見ると表情をくずしてにこやかに話し、自らも子どもたちと楽し気に遊んでいた。

 「今日は楽しかった。これで役目は果たせたでしょうか」

 彼女は帰りの車の中で少女のような表情で笑いながら尋ねた。「ありがとう。充分です。子どもは世界中どこでも皆同じですね」と答えて笑い返した。

 翌日、再びアイユーズアンドレス小学校を訪れた。そして昼前からタクシーを南のクリオンまで走らせ、ローマ時代のクリオン遺跡や古代劇場、アポロンの聖域等を見た後、夕方ホテルに戻った。

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ローマ時代のクリオン遺跡

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ローマ時代の古代劇場

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レフコシアの円形城塞の一部

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アポロンの聖域での筆者