子どもがいないテルアビブ(2003年2月)

 2003(平成15)年2月2日の夜、ヨルダンのアンマンからイスラエルのテルアビブへ飛んだ。九時出発予定か10時半になって、テルアビブのヘングリ空港へは11時5分に着いた。入国手続きの際若い女性の係員に、機械的に尋問され、1時間近くかかった。

 ロビーでは、タクシーの運転手が紙に私の名前を書いて待っていた。アンマンから日本大使館に連絡していたので、手配してくれていた。20分でホテルに着く。

 翌2月3日(月)は、晴れていたが昨夜来の風がやまず、ホテルの窓から見える海岸の砂浜が高波に洗われ、波しぶきが散っていた。午前9時にカメラを手にして街に出た。

 テルアビブの子どもたちの遊びを調査するのだか、殆と情報がない。とにかく自分の目で街の状況を確かめようと歩く。

 イスラエルの面積は27,800平方キロメートルで四国よりもやや広く、人口は約645万。公用語ヘブライ語アラビア語である。しかし、1948年5月の建国以来、世界各地からの移民か多いので、町ではいろいろな言語が話されている。英語はかなり通じる。

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カルメル市場の様子

 人口約60万のテルアビブで最も活気のあるカルメル市場では、英語とアメリカドル紙幣が飛び交い、ヨーロッパ系、アジア系、アフリカ系等、多種多様な人々か行き交っており、溢れんばかりの物資が所狭しと並んでいる。ここには戦争やテロを感じさせる気配はなく、人々の生活感と物欲の渦が巻く、市場の雑踏があるだけである。しかし、子どもは見かけない。

  長さ1kmもある市場街を通り抜けて地中海に出る。南に向かって海岸通りを30分も歩いてヤッフオに着く。古い要塞跡の丘になっているハピスガ公園に上り、聖ペテロ修道院を訪れる。そして、ヨットや漁船か碇泊している港を見て旧市街に戻るとちょうど正午になり、イスラム教寺院のミナレット(尖塔)から、礼拝を誘う拡声か朗朗と響き渡った。

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旧市街ヤッフオのイスラム教寺院、モスク

 イスラエルは、1948年に建国して以来、イスラム教のパレスチナや周辺のアラブ諸国との戦争やテロが絶えず繰り返されてきた。それは宗教戦争の色合いが強かった。しかし、世界三大宗教ユダヤ教キリスト教イスラム教の発祥地だけあって、国民にはいろいろな宗教、宗派か見られる。現に、このヤッフオ地域だけでも、キリスト教イスラム教寺院があり、尖塔からはお祈りが拡声されている。国民の8割がユダヤ教徒ユダヤ人、2割がイスラム教徒のアラブ人の日常生活に、今も3大宗教が混在している社会状況に驚かされた。

 午前中1人で歩き回ったが、遊ぶ子どもや街頭で子どもをみかけなかった。

 午後1時半、大使館からの紹介による案内人兼通訳の日系人がホテルに来た。彼は首都のエルサレムに31年間も住んでおり、ヘブライ語か堪能で、日本人の旅行ガイドを職業としていた。しかし、テルアビブの生活圏においては不案内で、学校の終了後、子どもたちがどこに集まるかは知らなかった。

  午後2時頃から子どもを探して街を歩いた。彼はどこへ行けばよいか知らないので、午前中に調べておいたカルメル市場近くにある公園を訪れた。バスターミナル近くて遊具のある街中の広い公園なのに、約1時間待っても子どもは一人も遊びに来なかった。仕方なく公園から東に向かって住宅地域を歩いた。1時間近く歩いたが、6歳から12歳くらいのもっとも遊びたがる年齢の子どもたちを一人も見かけない。親に手を引かれた4~5歳の子は2度見かけたが、広場や路地に遊ぶ子の姿はなかった。街を行き交う大人は多いのに、子どもはいない。

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海岸の公園、カルメル市場近くの公園、住宅街の公園のいずれにも遊ぶ子供がいなかった。

 更に進むと、住宅地域の一角に幼児と親たちが10数名いる公園があった。私は、これまで141カ国を訪れ、とこの国や地方でも、夕方になると子どもたちが外に出て遊ぶ光景を見て来た。団地の中にあるこの公園には必ず子どもたちが遊びに来ると思い、午後4時45分から薄暗くなる午後5時45分まで待った。しかし、子どもたちは出て来て遊ばなかった。

 半世紀以上も続く戦争とテロの恐怖は、人々の心に不安と猜疑心を駆り立て、安住の時を過せなかったろう。その社会状況は、子どもの心に強く焼き付き、野外で自由に遊ぶ精神作用を起こさせないのかもしれない。

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テルアビブの海岸に立つ筆者