成都の漢方市場(1986年9月)四川省成都

 漢方薬の本場ともいわれる四川省成都を1986年9月初めに訪れた。少数民族の村を訪ねるためだったが、洪水で道が決壊して行けなかったので、漢方薬の取材をすることにした。しかし、「漢方薬は国家機密」などと、中国国際旅行社は非協力的だった。特に工場や調理場の見学は、外国人にはまだ許されていないという。結局、原料市場と漢方料理の店ならということになり、通訳の曽繁文(26)さんに案内してもらった。

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漢方薬市場

 市場は成都駅前の二環路にあった。漢方薬の原料市場としては世界一といわれるほどあって、周囲を高い壁に囲まれた一万坪ほどの広さである。中には、長さ7・80メートルの兵舎のような、壁のない建物が沢山並んでいる。その建物の両側に店があり、原料を所狭しと並べている。人々は建物の間を歩きながら、何百という店を見てまわる。買い手も売り手も慣れっこなのか、呼び込みやオーバーな説明もない。麻やビニールの大きな袋に入った原料や、台の上に並べたり、天井から吊下げた原料には名称や値段のついたものもある。民族や地方によって呼称が異なるので、分かるように記しているのだという。

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漢方薬市場②

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漢方薬市場③

 木瓜(ムーコウ)<かりんの実>や金銀花(チンギンホウ)<すいかずら>、大黄(ターホワン)<大黄の根>が解毒に、貝海(パインモー)<あみがさゆりの根>や半夏(ハンカ)<からすびしゃくの根>、五味子(ウーウェイツー)<朝鮮ごみしの実>が咳止めに、麦門冬(マイメントン)<じやのひげの根>や天門冬(テンメントン)<草すぎかつらの根>、枸杞子(コウチーツー)<くこの実>が滋養、強壮に効くと説明されても、漢方に明るくない私にはなかなか理解できなかった。

 市場の中を見ているうちに、なんとなく漢方薬が特別なものではなく、ごく日常的なものであるように思えた。漢方薬は一般的には草根、木皮の類のように思われているようだが、ここでは、草や木の花や実、皮、根、そして、動物の骨、筋肉、爬虫類や昆虫、魚類、海藻類、大型菌類など、一見奇怪なる型や色のものもある。しかし、よく見ていると、たいてい見たことのある生物の乾物である。

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左:枸杞子 右:冬虫夏草
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左:ウコンの根 右:市場に並ぶ漢方薬の原料

 現代化学と西洋医学による“薬剤”に慣れている私には、こんなものに薬効があるとは思い難いのだが、曽さんの通訳で半日も現場で説明されているうちに、食物はすべて“薬”なのではないかと思うようになった。原料を売っている人びとは誰も化学的に薬効を説明してくれはしなかったが、人間にとって必要なものであることだけは確信のもとに教えてくれた。

 植物は独立栄養体で、大地に根を張り、太陽に向かって葉を広げていれば良いが、動物は従属栄養体なので、他の生命体である有機物を口から入れなければ生存できない。動物である人間は他の生物を口から入れない限り生きることは出来ない。だから、食料としての有機物は細胞の栄養源であり、時には刺激を与え、活力を増す薬となる。

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同仁堂で料理してもらった薬膳

 中国最古の薬物書である「神農本草経」には、食物と薬が一緒に収録されている。また、明代の李時珍の薬物書「本草網目」には、食物と薬は同じものだと考えられ、食事治療が重要視されている。このように、中国には昔から”医食同源“の思想があって、食物によって健康を保持し、治癒するという伝統的な医学・すなわち漢方がある。

「病気の治療はまず食事で治すこと。食事で治らなければ薬を用いること」

 このように考えると、自然の季節に順じて食べられる旬の物が食料で、季節や場所に関わらず、健康維持のため身体の必要に応じて口にする乾燥有機物が漢方薬・薬なのである。

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薬膳料理を試食する筆者