古き良き時代のオセアニア オーストラリア⑫
タスマニア島の旅
タスマニア島は、1642年にオランダ航海者アベル・J・タスマンによって発見されたが、英国からの移民が始まったのは1803年であった。18世紀に書かれたスウィフトの「ガリバー旅行記」に出てくるヴァン・ディーマン島は、タスマニア島の旧名なので、当時は地の果てと思われていた。
実際、タスマニア島は、オーストラリア大陸の東南端にある島で、これより南には南極大陸の他はニュージーランド南島があるだけ。
この島は大陸から分離して大変古い時代にバス海峡が出来ているので、動植物分布の面から世界のどこにもいない動物がいることで有名。例えば、タスマニア・デビルという、豚と犬を掛け合わせたような黒色の動物、タスマニア狼という長い尾の動かない動物もいたが、これは今絶滅したとも言われている。それに黒地にヒョウのようなネイティブキャットもいる。これらはいずれも有袋類で、動物学上珍類である。
タスマニア北部のランセストンを出発した、「タスマニア一周10日間旅行」のバスは、例によってガム林の中を南に向かって走った。オーストラリア本土には山道などあまりないが、実に山が多い。日本ではありふれたことだが、オーストラリアでは山があり、川があり、野原があるなんて表現するだけで、素晴らしい景観を創造する。
だから12月、1月、2月の夏季ともなれば、山の殆どない、清流のない、谷間のない本土から、それらを見物しようとやってくる旅行者が多い。私が乗った観光バスも満員であった。
バスの隣席にはメルボルンから親子4人でやって来たジャニスという20歳の女性が座っている。同乗の客は皆純朴で難しいことは話さず、今日はああだった、昨日はこうだった、ここはきれいだ、明日はきっとこうだとしか話さない。単純だといえばそれまでだが、実にジョークの上手い平均的なオーストラリア人たちであり、簡単な言葉の英会話をすればよいので、肩の凝らない旅。
州都のホバートで一泊し、2日もすれば皆親しくなってきた。人口わずか5~600人の田舎町セントヘレンはタスマン海に面していた。町には二軒のホテルと、一軒の青少年向け娯楽センターがあるだけ。こんな町のホテルのホールで、同行のジャニスだちとビールを飲み、ダンスをして、楽しいパーティー気分を味わった。10日間のタスマニアの旅は、何事もなく無事に終わった。