内蒙古からチベット7000キロの旅㉑ 漢民族と少数民族の町・西寧
北の甘粛省、南のチベット、そして東の四川省、西の新彊ウイグル自冶区に囲まれた高原地帯の青海省は、高原大陸性の気候に属するので、気温が低く、昼夜の温度差か大きい。そして、「年に四季の区別がなく、1日にも四季の変化が見られる」という特徴がある。平均標高3,200メートルもある高原地帯は山あり、谷あり、川あり、湖あり、森林、草原、平原、砂漠、不毛の荒野あり、塩、石油、天然ガス、鉄鉱石その他の鉱物資源などのある、大変豊かな地域である。
高山が多く、氷河や万年雪もあり、川が多く、黄河や揚子江(長江)の源流にもなっている。無人の荒野や湿地も多いので、野生動物の宝庫でもある。省の面積は、72万平方キロメートルで、日本の2倍もの広さなのに、人口はわずか400万人である。
青海地方は、もともとチベット族の居住地域であったが、紀元1世紀ごろ、漢の光武帝時代に、西域の征服に成功し、この地方へも漢民族が侵入してきた。それ以来、漢民族とチベット系諸民族の闘争がくり返されてきた。しかし、1,800年後の清朝時代になっても漢民族の勢力は省の東端のみで、東部にある西寧の町から北、西、南の蒙古族やチベット系諸民族の地域までには及ばなかった。
青海省の主な少数民族はチベット族、回族、土族、サラ族、蒙古族で、人口は154万人、総人口の40%である。これら諸民族の宗教は、チベット、蒙古、土族かラマ教徒で、回族とサラ族かイスラム教徒である。漢民族は一般的に道教や仏教、または儒教徒であった。
西寧は昔から漢民族の町である。標高は2,300メートルもあるが、青海省では最も低い地域にあり、無霜期が4、5ヵ月もある。4~50年前までは、周囲5、6キロもある城壁に囲まれた城塞都市であったが、今ではごく一部が残っているだけで、城壁はほとんど取り除かれている。そして、道や建物が近代的になり、車が走り、人出が多く、人口55万もの都市になった。
高地のせいか、8月とはいえ、下旬にもなると朝夕はもうかなり涼しい。西寧友誼賓館の朝食は8時半から9時半と遅い。ここの日の出は北京より2時間も遅いのである。中国は東西に5,000キロと長く、東部の空か白むころ、西部はまだ夜中である。しかし、公式には北京時間だけなので、青海省の生活時間を時計に合わせると、あまり都合がよくない。ちなみに昼食は1時から2時、夕食は7時から9時半となっている。
午後4時半(現地では2時半)から市内を見物した。旧城内は区画整理され、道が広くなっており、モダンな商店か多く、人出も多かった。行き交う人びとは、上海や北京と変わりないモダンな衣服もあるが、白いベレー帽のイスラムハットを被った男、チベット風の皮の帽子、蒙古服の人など、多民族の町であることがよくわかる。
食堂には「清真」とか「漢族」と入口に標記してある。清真というのは、豚肉を料理しないイスラム教徒の食堂で、漢族とは、豚肉を好んで料理する漢民族用の食堂のことである。西寧は漢民族の作った町であるが、今では多民族が居住しているので、多種多様な宗教や生活文化があり、価値観や生活態度に多様性がある。