内蒙古からチベット7000キロの旅⑳ シルクロードを行く

 裟家営から暴泰に戻り、そこから南の蘭州へ向かう。道は舗装されていたので、時速80キロで走った。

蘭州の友誼賓館についたのは、夜の10時過ぎだった。蘭州はシルクロード沿いの町で、有名な河西回廊の入口にあり、黄河の渡し場でもあったので、古くから栄えた町である。紀元前の秦時代にはこのへんまでが漢民族支配下であったが、漢代に入って武帝が河西四郡を置いて西域との交易基地としたので、たいへん活気のある町であったといわれる。当時は金城と呼ばれていたが、6世紀末の隋時代になって、蘭州と改名された。

 今は計画的に建設された巨大な工業都市で 人口は200万以上もあり、労働者が全国から集まっている西域一の町。そして黄河を北から南に渡る大橋がかかっている。

 久しぶりの大都会なのだが、先がまだ長いのでゆっくりもしておれず、8月29日の早朝出発し、シルクロードの上にできた道を通って、青海省の西寧まで行くことにした。しかしいつものことながらガソリンの調達ができず、出発は午前11時すぎになった。ここからTBSの東條さんが一行に加わった。

 蘭州を出ると、道沿いに梨の木が多く、鈴なりに実をつけていた。木は10数メートルもの高木で、数百年の樹齢に違いない。この洋梨のような果実は、香りがよく、すこぶる味がよい。畑にはじゃがいもが栽培されている。他にはきびやひまわり、大麻なとも少々栽培されている。麦はすでに刈り取りが終わっていた。

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蘭州上流の黄河

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民和近くの黄河

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永登近くの庄浪河

 30分も走ると西寧への道から北にそれ、永登に向かった。道は庄浪河に沿って走る。紅城ではリンゴが栽培されており、紅い実がなっていた。川沿いには草魚や鯉なとの養殖池があちこちに見られる。

永登の町には、清朝時代に建造された城塞「満城」かあった。石を高く積み上げた堅牢な壁が、道沿いに続いている。

 この町でシルクロードからそれて、南西へむかった。山に樹が生えていない標高2500メートルの峠を越した。山中に小さな砦か1つ残っており、狼煙台が3つあった。

 山を下りると、砂金採集地で知られていた大通河に出た。河に沿って下ると、やがて谷は非常に狭くなり、川面は100メートルも下の谷底にあった。さらに下ると、甘粛省青海省の境である古い橋があった。その橋のたもとに、青海省からの迎えが来ていた。青海省山岳協会から派遣された案内人の奨さんや彼の奥さん、それに通訳のヤカレイさん、そして運転手の馬さんたちに会い、甘粛省の人たちに別れを告げて青海省に入った。

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          甘粛省青海省の境を流れる大通河にかかる橋

 西寧から流れている西寧河と祁連山脈から流れ出ている大通河の合流地近くにある町、民和を経て西寧へ直行しようとしたが、民和の町を出て1キロも行かないうちに通行止めになっていた。トラック、バス、トラクターなどが30台も止まっている。もう3時間も止められているという。

 中国を旅していると、時々遭遇するのだが、道路工事で、半日も止められる。ひどい時には1日止める。だいたいどこでもちょっと工夫すれは片面通行可能なのだが、工事者たちはそんなことを気にしない。

 「工事中、よって通行禁止」

 まるで工事最優先のようである。先を急ぐ者にとってこれほど困ることはないのだが、現地の人びとはもう慣れっこなのか、黙って待つ。

 1時間後、私は工事現場まで歩いて行った。日本製の四輪駆動車なら文句なく通れる。これ以上待つと日が暮れてしまうので、車のいない左車線(中国は右側通行)を通って進むよう、案内人の奨さんにけしかけた。やっとその気になってくれ、私たち4台の車だけ通ることができた。

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西寧の友誼賓館

 こんなことで遅れてしまい、夕暮れせまる山道を急いだ。暗くなって走ると、周りの情景かみられないので 明るいうちにと思うのだが、西寧の友誼賓館に着いたのは、またもや10時過ぎであった。