ユーラシア大陸横断鉄道の旅③ 下関→釜山

   春の天候は変わりやすい。午前中は晴れていたが、正午過ぎから雲行きがおかしくなってきた。関釜フェリーの発着港である、下関国際ターミナルに着いた午後3時頃には、雨雲が重く垂れ込んでいた。

 出国手続きを終え、フェリーに乗り込む時には小雨が降って、肌寒かった。"Ferry Pukawan Pusan”と記された2000トン級の船。一等室B-13番に入る。4人部屋だが、乗客は私一人であった。

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下関国際ターミナル入り口

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下関国際ターミナルのフェリー搭乗口

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ターミナル内の切符売場

 出港時刻の5時頃には雨が止んでいたが、風がやや強く、雲がちぎれ飛んでいた。本州の下関と九州の門司の間にある関門海峡は、幅500~1300メートル。中でも門司と下関を結ぶ関門橋のかかる「早鞆瀬戸(はやともせと)」は、幅わずか150メートルに過ぎない。

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下関のフェリー発着埠頭

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響灘の方から見る関門海峡にかかる橋

 午後6時半頃には響灘(ひびきなだ)を過ぎ、外洋に出た。夕暮の海は3、4メートルもの高波で、荒れ模様。春の息吹を吹き飛ばすようなシベリアからの季節風にあおられて、鉄船を激しく叩く波の音が、まるで出陣太鼓の響きのように聞こえる。

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フェリーの4人部屋の2段ベッド

 古代から多くの人や物品が日本と朝鮮半島を往来したが、どのようにして渡っていたのだろうか。冬から春にかけては海が荒れて小舟で渡ることはできない。海の静かな夏から初秋にかけて渡ったのであろう。

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早朝フェリーから眺めた釜山

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早朝に見た釜山南側の端の方

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早朝の釜山港

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釜山の南側

 翌早朝3時頃のまだ暗いうちに、フェリーは釜山湾内について停泊していた。朝6時に韓国語でアナウンスがあり、6時半からの朝食。メニューは米飯、のり、生卵、みそ汁、漬物であり、まだ日本の食文化圏。しかし、周囲の乗客や自然の景色を見回すと、すでに韓国に来ていることを痛感する。時差も1時間ある。

 デッキにあがると、雲一つない、抜けるような青空が広がっている。東の日本海から昇ったばかりの朝日に、ユーラシア大陸東端の町、釜山のカラフルな建物の多い街が輝いていた。よく晴れた日には、釜山の南東にある影島の大宗台から対馬が見えるそうだ。

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釜山中央部

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釜山のフェリー発着埠頭

 午前7時半、時間待ちで停泊していたフェリーがゆっくり動き始め、埠頭に向かって進んだ。船上から眺める釜山は、山麓の横に広がる大きな町。高層ビルと色とりどりのマッチ箱のような民家が所狭しと競い合うように建っている。やはり日本とは違うカラフルで華やいだ町の風景が見られる。

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釜山のフェリー発着場

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釜山中央北側

 4月10日の午前8時15分、関釜フェリーはターミナルの第一埠頭に接岸する。入国手続きはいたって簡単で、パスポートと入国カードに必要事項を記入して入国審査を受けるだけ。

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釜山中央南側

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釜山港の埠頭に接岸した関釜フェリー

  手続きを終えて外に出ると、私の名前を書いた紙を持って、案内人の金英姫さん(24歳)が立っていた。正午発車のソウル行「セマウル号」に乗るまで、彼女と釜山の市場を見ることにした。