内蒙古からチベット7000キロの旅④ ニラの花咲く草原

 私たちは、バートル村長の案内で牧畜民の住む草原を訪れることにした。ホンゴル村から東北に向かって十分も走ると、緑なす大草原である。まさしく蒙古の草原で、見渡す限り山はない。しかし、ゆるやかな起伏はある。車で走っていると、やや小高い丘に、石を積み上げたオボがあった。イヘ(大きい)と呼ばれるオボである。 

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緩やかな丘の上のオボ

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ニラのお花畑

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丘の上のイヘオボ

 蒙古族は、古くから山や丘の頂に盛り上がるように残った自然石を「オボ」と呼び、天神の降臨する聖域とみなしていた。そしていつのころからか、方位の吉凶によって、居住地域の山や丘の頂に石を積みあげたり、有力者の狩猟などの記念に石を積み、その堆石をもオボと呼ぶようになって、天神の降臨するところとした。蒙古族の古来からのシャーマン信仰は、万物の霊を信じるアニミズムで、オボは、天と地を祭る場所として尊ばれてきた。日本の社や祠と同じようなものである。

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平原のかなたに見える虹

 オボは、神霊と人とのコミュニケーションの場であり、旧暦五月十三日の年一度のオボ祭の場である。また、道標の役目もはたし、地名や方角の基点となり、集団の象徴であり、意志伝達のためには欠くことのできないものである。人びとはオボを目標とし、太陽や月、星や草の生え具合によって方角を知る。

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大平原の中のパオ

 チンギスーハンの時代には、人びとが戦いに出る時、必ずオボに集まって戦勝を祈願したという。そして、オボの前で進攻の命を下した。戦いが終わると、同じ場所で戦利品をわかちあい、酒を飲んで、角力(すもう)や競馬をした。またオボは軍事訓練を見るところでもあった。

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パオの骨組み

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パオの組み立て

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平原に住む蒙古族の少年

 草原に残る車輪の跡を走ると、やがて白い銀粉をまき散らしたような幻想的な大地が、青い空の下いっぱいに広がっていた。車を止めて外に出ると、花の香りが快い。一つ一つの花ではなく、四方に広がる花園をそっくり感じる雄大さと、白く輝く草原の美しさに感動が波のように押しよせる。

 「ターンナ、日本ではニラと呼んでいます」

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ニラのお花畑を撮影する

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ニラの生えた大地は乾燥していた

 通訳のホシコさんが花の名を告げてくれた。身長175センチほどの体格のよい初老の彼は、満州時代に長春にあった日本の建国大学を卒業した蒙古族で、上手な日本語を話す。草原で暮す60代の人びとには、日本語の上手な人がいる。彼らは、蒙古族にとって初めての学校に通った人たちである。当時、日本はこの草原のいたるところに学校を作り、蒙古族や漢族、満族の子弟を差別することなく入学させて教育した。子供たちのなかには、日本が戦いに負けて引きあげた後も学校に通った者もいた。

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ニラの花

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引き抜かれたニラ

 内蒙古にいる50代以上の知識者は、当時日本の小学校に通ったことのある人びと。中にはホシコさんのように大学まで卒業し、医者、教師、公務員、通訳などになった人もいる。ホシコさんは親切で、対日感情がよく、いつも笑顔で接してくれた。

 「ニラを家畜が喰うと、乳も、小便も、体もニラの香りがします。若いニラは人間も食べます」

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ニラの花咲く草原での筆者

 彼はニラを引きぬいて、白い根を私の鼻先に近づけた。

 ニラの白や白紫色の花が一面に咲くお花畑であるが、中には紫色のネギ坊主のような花もある。

 「これは蒙古語でホムル、漢語では沙葱、日本語では蒙古らっきょうと呼びます」

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平原での野営風景 右上に小さな湖が見える

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野営における中国の料理人たち

 ニラや蒙古らっきょうの、小さな花を放射状につけた球形の花をトロゲ(頭)と呼ぶことも教えてくれた。ニラの花咲く草原は、オルンノール(多数の湖)という地名。その名の由来通り、この草原には小さな湖がいくつも点在している。