シドニーのホンダイビーチ(1968年12月)
ヘソ、ヘソ、ヘソ、丸いヘソ、上向きや下向きのヘソ、とっても小さなヘソ、胡坐をかいた大きなヘソ、出ベソ…。セクシーなのもあれば、泣きベソをかいたのもある。
まるで小さな布切れを上と下にチョコリとくっつけたヘソの大群が、鼻先でユーモラスに動く。時には、かぶりをふり、時には、オイデ、オイデをし、又それがウインクまでする。それにつれて私の表情が実に奇妙な反応を示す。喜び、なげき、興奮し、投げやりになり、そして放心する。それはまたいかなるショーや記録にも勝る伸々とした人間の無意識なアクションでもある。それを青空の太陽にもう何時間もにらまれながら灰褐色の砂の上に腹ばいになってあくことなく、己の目、いや脳に記録している。
ここシドニー郊外のボンダイビーチにやってきたのは、1968年もおしせまった12月29日の日曜日だった。地球を1周した世界旅行では豪州には足を踏み入れてなかったので、旅行記(これが世界の人間だ)を書いた後、オーストラリアを探訪することにした。冬の東京から飛んだ南半球に位置するオーストラリアのシドニーでは真夏である。ビーチを訪れてまずあっけにとられたのは余りの人出、中でも若い女性が多かったことだ。それと長さ数キロもある広い砂場のかなたに、まるで絵を見ているような美しい家々の立ち並ぶ丘があったことだった。
空は青く、海も青い。色とりどりの水着がまるでモザイクのように敷きつめられている。これらすべてが私を驚かした。どうしてこうまで自然と人工が調和しているのだろう。オー・ソレ見よ、と叫びたくなる。よく考えてみると、これらすべてが、みせるためにあるような気がする。セパレートのオヘソだって、カラフルな水着だって、小麦色に陽やけした肌だって、そしてなまめかしい四肢だって、美しい顔だって、柿色の屋根だってあおい海や空だって、ホホずりしたくなるような砂浜だって、すべてがそれを見る者に快感を与えるような具合になっている。それがオーストラリア東南にあるシドニー郊外の夏の浜辺なのだ。
たしかに人は多い。しかしその多さが、日本の浜辺と違ってちっともいやらしくない。ビーチパラソルもなければ貸しボートもない。浜全体がスーツと見わたせる。それだって人の視線を遮るような物を故意に取り払っているような感じさえする。いったいどこまで視覚を楽しませるようになっているのだろう。
いずれにせよ、私は視覚動物である。ひょっとするとよほど好奇心が強く、視力も強いものと見えて、ボンダイビーチでその視覚力を右に左にためしては、我ながら得意になってヘソの動きに喜々としているのである。
あまりヘソを見詰めていると変になりそうなので上に昇ろうか…。おっといけない、大きなブレスト。それじゃあすこし下にくだろうか…。これまた視覚が麻痺しそうな布切れ一枚の姫様だ。やっぱり真中がよかんベエ。
目はどうしてもヘソにそそがれる。と言うのは或る日本のヘソ学の権威者が私に三つのヘソ型を書き示して説明してくれたことがあった。円いヘソは体格がよく、むこうみず、縦に長いヘソは背が高くて慎重型、横に長いヘソは精神力があって図太いなどと教えてくれた。それが本当かどうかは知らぬが、背の高い女性は確かにヘソが縦に長い。比較的ボリュームがある女性は大小にかかわらず、まるいヘソをしている。
ヘソの型による性格まではわからぬが、とにかくヘソ学の邪道知識が少し身についているばかりに、一層ヘソに集中させられる。
シドニーに着いた直後の一日中こうしてヘソを眺めて過ごした。そしてだんだんとヘソに関して、あまり興味を示さなくなった。だから美しいビキニ娘が目の前に横になっていても別にカツカツしなくなった。
夕方のボンダイビーチを陽焼けしたビキニ娘達がバスタオルと何がしかをアミカゴに入れ三々五々と散っていった。後には静かな夕やみが、波におしよせられてチリ一つない砂浜にやって来た。人の足跡だけが、そこにビキニ娘達がはちきれんばかりの四肢を持て余すようにたわむれ、そして寝ころがっていたことを伝えている。
少数の若者がまだサーフィンをやっている。時々笑い声が聞こえた。目の前を、サーフィンボードを頭に乗せた少年が横切って去った。彼の鼻先は白く塗られていた。それは陽焼け防止のためである。もううす暗くなっていた。丘の上の家々に灯が点り、海岸通りにも外灯がパツと点った。
「ジョニー、帰ろう」 誰かが友を呼んでいた。
その数日後、有名なシドニ湾を出発するヨットレースを見た。これもヨットと人の多さに驚かされた。何より、人も、街も、空も、海も、みんなきれいであった。