海南島の生老百年碑(1983年1月)

 1983(昭和58)年1月に中国の海南島を訪れた。首府海口市に”五公祠”と呼ばれる有名な祠堂がある。北宋時代の1097年に建立されたもので、宋時代の有名な詩人、蘇弑糾・蘇轍兄弟と昭忠、邱淑、そして、海瑞の五人の霊がここに祭られている。この敷地内には、”南海第一楼”と呼ばれる賓客招待所もあり、宋時代から文化人の集会場でもあったと言われている。そのせいか、今では海口市の歴史博物館になっているので、案内の史さんが勧めるままに訪れた。そして、全く偶然に海瑞の石碑を見かけ、火山岩に流れるように力強く書かれた“寿”らしき文字に心魅かれた。

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海南空港と人民広場

 1966年に中国で始まった文化大革命以来、宗教的な活動を禁じられている五公祠は、訪れる人も少なく、熱帯樹の深い緑に包まれて、沈黙の世界で瞑想しているのに、この碑の文字だけは、竜門を昇る鯉のように力強く跳ねている。

 “生老百年”と書いているのだそうだが、“寿”の1宇に見える。これは明時代の清官・海瑞の書である。海瑞については、海南島を訪れるまで、何一つ知らなかった。

「海瑞晩年の書です。拓本があるはずですよ」

 感じるところがあって碑文を誉めていると、通訳兼案内人の史さんに教えられて五公祠の事務所を訪れた。中には文物が乱雑に放置され、2人の中年男子が机に寄りかかって座っていた。

「海瑞は、明朝時代の書家です。もともとは明王朝政府の役人で、南京において判事をしていましたが、政治をまじめにしない皇帝を批判したため左遷され、故郷の海口に戻って来たのです」

 男の1人が海瑞について説明をしながら、机の引き出しの中から、徐に拓本を取り出した。碑文は五枚拓本され、1枚はアメリカのニューヨークに住む華僑が買い求め、1枚は北京に持って行かれ、ここには3枚残っているそうだ。史さんによると1枚は売っても良いそうなので値段を尋ねた。

 外国からの観光客がまだ少なかったので、買い手がいなかったようだが、1枚50元(約7千円)と言う値段は、現地の人の月給とほぼ同じである。少々高価に思えたので買いあぐねていると、彼等は海瑞についてとうとうと説明を始めた。

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海南島の農村と漁村の風景

 海瑞は1515年に海口市竜岐村に生まれた漢人で、若くして明朝政府の高官となり、南京で活躍していたが、衰退しつつある明朝の現状を憂い、政治を忘れて遊びに興ずる皇帝に忠告をしたために左遷された。しかし、民衆は憂国の士として海瑞を称え、皇帝を批判したので、彼は南京にとどまることができず、50歳の頃亡命を兼ねて海南島へ帰郷した。それ以来、海口で悠々自適の生活を送り、書家としても名を知られ、1587年、明国滅亡半世紀前に、72歳で世を去った。しかし、この南海の風雲児は、毛沢東率いる新生中国において大変な役目を果たすことになった。

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海端の墓

 1966年から始まった中国の文化大革命の発端は、この人を主人公にして書かれた「海瑞免官」によるものだとされている。それは、当時の中国共産党指導部の劉少奇たちが、海瑞のように清く正しく社会に貢献することを民衆に訴えるため、作家の郊拓や呉含に書かせたものであったそうだ。

 ところが、時の実力者毛沢東は、「指導者の一部は腐敗している」と、指導部の一部を槍玉にあげて批判した。そのため、毛沢東思想に煽られた純粋な若者たちが、指導部に銃口を向けたことから、あの有名な文化大革命が始まったのだと言う。

 実は、五公祠の立派な石碑も文革中に破壊されたそうで、よく見ると中央に横の割れ目がある。ここにある拓本は破壊される前に採られたもので、今ではもう作れない貴重な物だそうだ。 

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生老百年碑を拓本した掛軸(筆者蔵)

「生老百年ですか」

 眺めていると、一層立派な文字に思えて何気なく呟き、1枚を買うことにした。

 江南地方の『老人』とは、知恵者としての文化的意味を持った社会人の状態を表現する言葉だ。その老人が、長い人生上の体験から学んだ知恵を、青少年に惜しみなく与え、残して行こうと努力するが故に、”老人→翁→神”としての愛と温もりと畏敬の念が芽生え、敬老の心が自然に芽生えて強まるものだとされてきた。

 こうした生活文化を身につけていた海瑞は、百歳までの願いを込めて草書体で“生老百年”と重ねて大書し、長命を意味するめでたい文字である古い漢字の”壽”としたのに違いない。

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海南島中央部リ族の娘と筆者

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海南島南端の三亜の海岸

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南シナ海に向かう三亜の浜での筆者