賀蘭山の岩画(1988年9月)寧夏省回族自治区

 1988(昭和63)年9月、中国の寧夏回族自治区を10年ぶりに訪れた。区都銀川の西側を南北200キロにわたる賀蘭山中に沢山の古い“岩画(岩壁絵画)”があることが知られている。日本では一般的に“顔面画”と呼ばれているようだが、中国では“岩画”と表記されている。

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賀蘭山の西夏陵碑を背にする筆者

 その日の朝は快晴で、標高3,556メートルもある嶺々にはすでに初雪があった。私は自冶区文物古考研究員衛忠氏の案内で、銀川から北西に80キロ離れた山中にある賀蘭ロヘと向かった。4、5日前のめったにない大雨によって洪水となり、道は谷間の出口ごとに決壊しており、車で2時間以上も要った。

 樹木の生えていない岩山の幅5、60メートルの谷間の出口である賀蘭口の、小さな川の流れは涸れることはないが、出口から100メートルも流れると地下に潜って地表に水はない。賀蘭口から黄河まで約50キロ。東に向かってゆるやかな斜面が広がっているが、大小の礫に覆われて緑の殆んどない荒野で、家畜の放牧すらできないような地域である。

 岩画は賀蘭口の両側に無数にあるが、長い歳月に晒されて摩耗している。正午すぎ、右岸の南側は日陰になってはっきり見えないが、左岸の北側は日が当たっている。そそり立つ岩山の狭い谷間の入り口の、高さ2メートル前後の岩壁には、線で描かれた沢山の岩画がある。山羊・鹿・牛・馬等の動物と人面。中には動物の交尾や男女の性交も描かれている。線画では、男の性器を▽、女は△で表現している。

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 岩画は年代がはっきりせず、新旧入り乱れて描かれているが、新しいとされている人面画は、西夏時代初期の11世紀頃のものだといわれている。チベットで今でも踊りに使われている仮面のような人面は、長い耳があり、その1つには西夏文字が刻んである。“仏教が盛んになりますように”と記しているそうだ。

 谷間の口から約100メートル入った、10メートルほどの高さの所に、直径30センチの円形人面がある。これは太陽神を象徴したもので、約2千年前の岩画だという。その30メートル奥には人間の手のひらの形がある。これは旧石器時代後期(4千~1万4、5千年前)のものとされている、フランスのぺク・メルツ洞窟壁画にある手形とほぼ同じである。

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 岩画は、谷間の入口から約500メートルにわたってあるが、更に奥の方にもぽつりぽつりとある。川面近くの岩肌にある無数の岩画は、増水の度に摩耗するのか、すでに殆ど確認できないような状態である。

 これらの岩画は、“玢岩(ふんがん)”と呼ばれる岩で、高度が7度以上あり、太陽熱と酸素の化学反応によって、表面がガラス化した岩面に線で描かれている。

 賀蘭口の岩画は、古くて2千年、新しくて8、9百年前のものといわれている。しかし、賀蘭山脈南部の中衛には、3、4千年前のものが多い。岩画の年代を正確に調べる方法はまだない。衛氏によると賀蘭口にも3、4千年前のものもあるかもしれないという。

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 中国大陸での文字の発生は、古くて5、6千年前とされているが、文字のない時代の記録は絵であった。紙の発明以前、木や竹のないユーラシア大陸の穀倉地帯では、岩面に硬い石や鉄器で絵を刻んだ。

 賀蘭山近くに住んでいた人々の記録が賀蘭口の岩画であるが、岩ばかりのこんな所に、何故多くの岩画を残したのだろうか。

 賀蘭山の周囲は砂漠と荒野で緑地はなく、巨大な岩山に森林は殆どない。しかし、賀蘭山の嶺々には降雪があり、雨も降る。人間も動物も、命あるもの全てがこの清流を求めて集い、生存競争を繰り返してきたのであろう。

 北側の岩面に、大きな丸い目と口が象徴的に描かれた太陽神は、あたかもこの谷間を訪れる動物たちを見守っているかのようだ。

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 私たち人間は、生きる欲望と、自尊心と、子孫への伝承的願望等によって文化を培ってきた。その最も重要な事が記録であった。人間が物事を伝える、残すという一般的な個人的、特殊な欲望が、文化を創造するのだろうが、万民に共通する伝達記号、手段が、具体的に表現する絵である。

 1年中清水の流れるこの谷間を、聖地と見なした人々が、欲望や願望、それに安全と繁栄を願って、世々代々にわたって象徴的に描いた素朴な線画は、今も見る人の心に熱く語りかけてくる。