エデンの園バハレーン(1999年2月)バーレーン

 1999年2月7日の朝、カタールのドーハからバハレーンに飛んだ。アラビア半島とイランに囲まれたペルシャ湾の西岸にある、33の島々からなる群島の国である。日本ではバーレーンと呼ばれている、小さな立憲君主制首長国。その面積はわずか620平方キロメートルで、日本の淡路島よりやや広く、人口はわずか五十九万人の国。

 主な島と島は橋で結ばれており、バハレーン本島に首都マナーマがある。“バハレーン”とは、アラビア語で“2つの海”という意味で、島々を囲む海と豊かな地下水脈を表している言葉だそうだ。なんでも、古代から多量の地下水が湧き出て、古くからシュメール人が住みつき、西南アジアの貿易の中継地として栄えていた所であったとされている。

 私はバハレーンに着いてすぐに日本大使館を訪れ、大使に会った。前もって連絡していたので、大使は大変協力的で、いろいろな資料を集めてくれており、イラン系バハレーン人のアブドルさんを通訳、しかも運転手も兼ねて案内人として紹介してくれた。彼と2日間行動を共にすることにした。

 私はまず、バハレーン国立博物館に案内された。バハレーンの歴史は古く、ここはアダムとイブが住んでいた「エデンの園」であったといわれる伝説があり、その証拠品の数々が陳列されている博物館をぜひにということであった。

 博物館には、この島の古墳から掘り出されたたくさんのミイラや遺骨、それに土器、金銀の装飾品などが展示されていた。4千年以上もの歴史を飾る品々に驚かされ、改めてエデンの園の謂れに聞き入った。

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バハレーン国立博物館

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発掘された古墳の中の様子

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博物館に陳列された船と筆者

 “エデン”とは、イスラエルヘブライ語で“歓喜”を意味する古い言葉である。旧約聖書の創世記における人類の始祖であるアダムとイブは楽園に住んでいたが、神の戒めに背いてリンゴを食べ、楽園を追われた。そのアダムとイブが住んでいた楽園が“エデンの園”であったといわれているのだが、ペルシャ湾の海の中にある小さな島が、本当にエデンの園であったとは思えない。しかし、博物館の多くの遺品や至る所にある無数の古墳を見ていると、古代には繁栄していたのであろうと思いたくなる。もしかすると、古代には島ではなく、陸続きであったのかもしれない。 

 バハレーン本島の地形は、中央部の標高134メートルの丘のような山からなだらかな斜面になっており、北西部の低地に緑が多い他は、大部分が砂漠状の大地で、川のように水の流れている所はなく乾燥している。冬は穏やかで心地よいが、夏は非常に暑く、湿度が高くなる。自然環境を知れば知るほど、こんな島が4千年以上も前に栄えたことが不思議だ。

 アブドルさんの通訳で、博物館の研究員に古墳を案内してもらいながら、いろいろな事を聞きだした。

 この島は、旧石器時代の紀元前2600年頃には、すでにディルムン文明が興っていたそうだ。ティルムンとはシュメールの古い文献に出てくる地名で、現在のバハレーンのことだそうだ。そのティルムンは、インダスとメソポタミアの両文明の橋渡しをした重要な地域であったともいわれている。その証拠の遺跡であるティルムン時代からの古墳は、なんと大小十七万個もあったそうだ。このディルムンが、古代のユダヤ人たちによる伝説の地「エデン」として、いい伝えられていた所だというのである。

 乾燥した砂地のサール地区やアーリ地区には、いまも原形を留めた古墳が無数に残っている。それらの古墳は直径5メートル、高さ8メートルくらいのものから、直径30メートル、高さ25メートルくらいのものまでさまざまで、内部には1~3の石室があり、金、銀、宝石類、青銅器などの副葬品と共に遺体が埋葬されていた。乾燥地帯なのでミイラ化した遺体も多くあった。このような豊かな副葬品や無数の古墳からも、当時のこの地方が豊かだったことがわかるのだそうだ。しかし、ほとんどの古墳は盗掘により荒らされている。

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壊されかけた巨大な古墳

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アアリ古墳群 盛り土はすべて古墳

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中程度の古墳

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破壊された古墳

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古墳の中の石室

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夕暮れに浮きたつモスク横の巨大な古墳

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旧市街地のいたるところに古墳がある

 島の北西部にある低地のブタイヤ地区には、古代においてはペルシャ湾の海底を通って湧き出す地下水脈があり、草木が生い茂って人がたくさん住んでいたそうだ。もしこの島が本当にエデンの園であったとすれば、このブタイヤ地区のことだろう。それが、いつの頃からか定かではないが、地下の変動か何かによって、その水脈の湧水がなくなったそうだ。そのため、バハレーンは徐々に衰退したといわれている。

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ブタイヤ地区の遺跡
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4000年も前の古代遺跡

 しかし、ブタイヤ地区は雨量が少ないのにいまでも緑が多く、ナツメヤシなどが栽培されている農業地帯である。周囲を海に囲まれた高い山のない乾燥地帯の島に、地下水としての伏流水が多量にどこからどのように沸き出していたのか、不思議な自然現象だ。

 バハレーンは小さな島国だが、1933年からの産油国であり、経済的な資源は豊かで、一人当たりの収入は多い。今日では、高度に発達した通信および輸送設備によって、ペルシャ湾における多くの多国籍企業のビジネスの拠点になっている。そして、1988年には全長二十五キロにも及ぶ海上の道「キング・ファハド・コーズウェイ」が完成し、サウジアラビアと橋によって結ばれた陸続きの国になっている。

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市街地で遊ぶ子供たち

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サウジアラビアへの海上の橋「キング.ファハド.コーズウエイ」

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サウジアラビアへの道路標識

 それにしても、ペルシャ湾の海に囲まれた島国バハレーンは、旧約聖書に出てくるエデンの園であったといわれるにふさわしい、大小の古墳の多い不思議な国で、いまもペルシャ湾における近代的なビジネスの星として輝いている。

 

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夕方集まってきた子供たち

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マナーマの魚市場

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エビを売る人

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魚を売る人

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古い砦前の筆者