地球へめぐり紀行

新制中国の望郷編

サハリン(2017年9月)

  私は、2017年9月に、英国籍の大型豪華客船のダイヤモンド・プリンセス号で、横浜港から北海道経由で、ロシア領のサハリン州を訪ねた。南部の海の玄関口・コルサコフには、9月22日の早朝に着いた。

f:id:moritayuuzou:20200717171929j:plain

船から見るコルサコフ

  コルサコフは、元はアイヌ人が暮らすクシュンコンタという部落であったが、1679年に松前藩出先機関が置かれてから日本人による漁場開拓が進んだ。その後、18世紀になってロシアの軍人や流刑民が送り込まれ、コルサコフと呼ばれるようになった。

  1905年の日露戦争後は、サハリン島南部は南樺太という日本領となり、コルサコフは”大泊”と改称され、稚内との間に連絡航路ができ、多くの日本人が住むようになった。第二次世界大戦後は、旧ソ連軍が南樺太を占領し、大泊はコルサコフと改称された。

f:id:moritayuuzou:20200717171939j:plain

コルサコフ港の日本領時代の建物

 上陸して直ぐに、40数キロ北の州都ユジノサハリンスクへバスで向かった。1時間足らずで着いたが、人口約20万の町は、南北に開けた大きな谷間の緩やかな東側斜面に広がっていた。

 日本領時代の豊原神社前は、”戦勝記念広場”になっており、すでに鳥居等はなかった。神社前広場から下の西方へ続くコミュニスト通り(日本時代の神社通り)の北にあるガガーリン公園は、豊原公園であった所であり、道を下りきった所が豊原駅。その途中の南側の道沿いに博物館がある。

f:id:moritayuuzou:20200717171916j:plain

f:id:moritayuuzou:20200717171923j:plain

ユジノサハリンスクの表情

 このサハリン州立郷土博物館は、1937(昭和12)年に樺太庁博物館として建設された建物で、入口の扉には菊の紋章がそのまま残っており、日本領時代のものが多く展示されている。中でも国境線のない日本では珍しいのだが、北緯50度の国境に設置されていた境界標石が、当時の地図と共に展示されていた。

  1泊もできない僅か1日の探訪であったが、長い間の念願が叶って、やっと樺太(サハリン)を垣間見ることとが出来た。

f:id:moritayuuzou:20200717171856j:plain

f:id:moritayuuzou:20200717171909j:plain

f:id:moritayuuzou:20200729154448j:plain

サハリン州立博物館と境界標石