ユーラシア大陸横断鉄道の旅② 下関
下関駅近くの高台にある亀山八幡宮の境内には砲台の跡がある。江戸時代末に、長州藩が英米仏蘭4ヶ国連合と紛争を起した時、関門海峡を航行する商船を砲撃するために作ったものだ。騎兵隊を組織した高杉晋作や薩長連合を画策した坂本龍馬、西郷隆盛、そして、多くの血気盛んな若者たちが、ここに立ってこの関門海峡の海を眺めたであろう。
そうした若者たちに必要なものは、心のよりどころであった。それは、人物であったり、物であったり理論だったり、宗教であったりする。いつの時代も、人は行動の裏付けに観念の世界を求めがちなのである。
山陽道の出発点でもある亀山八幡宮から東へ進むと、日清講話会議の記念館である「春帆楼」があり、その近くに赤間神宮がある。お伽ばなしに出てくる龍宮城のような赤い建物が連なる神宮は、海彦が住む南国的情緒にあふれている。
私は、南国土佐の生まれのせいか、南国的な雰囲気が好きだ。寒さよりも暖かさが、秋よりも春が、山よりも海が好きなのである。私の心の支えは、南国的な自然の成り立ちによって培われている。
しばらく眺めていた赤間神宮のたたずまいには、何となく日本文化の「故郷」のような安らぎを覚えた。これからの長い鉄道の旅が安全に続けられるように念じ、お守りとして小さな鈴を1つ買った。
鈴の音は悪霊を払い、迷いを諭すと言われている。それは、四国八十八カ所を巡る巡礼者たちの手による鈴の音を、幼い頃から聞き覚えた私の観念の世界でもある。鈴を手にすることによって、なんとなく、日本を離れて遠くへ行く心の準備ができたような気がした。「行ってきます」。拝礼して門を出た。