内蒙古からチベット7000キロの旅⑫ 平原から砂漠へ

 今回の旅の難儀はガソリンの確保である。予定では、特別チケットで、軍の施設でもどこでも給油してもらえることになっていた。2日に1回は給油するのだが、ガソリンがなかったり機械が故障していたり、係員がいなかったり、本道から50キロも100キロもそれていたりで、時間をずいぶん浪費している。

 ウラード後旗でも、前日からの停電で2時間も待たされた。たまりかねた私たちの怒りから、外事弁公室主任が特別な計らいをしてくれ、手押しポンプで給油を受けた。

 「ガソリンを飲まなきゃ走れない馬は、時に不便なことがあるよ」

 前日から給油を待ちつづけていた現地人の言葉である。  

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平原に残る古い城壁

 8月22日、10時すぎになってやっとウラード後旗を出発することができ、さらに西へむかった。これは、北のモンゴル人民共和国へむかう道である。約70キロ走ってから南へそれた。ここから内蒙古南端の町・アラシャンに向かって南下する。

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涸れ川に生える楡科の木

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乾燥した大地に生える古い灌木

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乾燥地の灌木

 涸れた川床を走ると、間もなく土壁の家が2~30軒あった。その村を過ぎると荒野で、草も木も生えていない。轍に従って進めば、パインゴビの村に着くはずである。ウラード後旗の役人が2人、中国製のジープで同行している。

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パインゴビへの道

 自然環境の厳しい内陸の乾燥地であるパインゴビ村に午後1時すぎに着いた。この僻地の村の招待所で、イワシや豆・肉などの缶詰を開けてもらい、手打ちのうどんを2杯もおかわりした。予期していなかった昼食だけに、肉うどんは大変うまく、こんな美味なうどんはどこにもないようにすら思えた。やはり、空腹にまさる料理人はいないようである。

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シニウス村への道

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木の生えていない岩山が続く

 午後4時、南のシニウス(錫尼烏蘇)村にむけて出発する。ふたたび平原や川床、砂地、丘などにつづく轍に従って砂煙を引いて走る。家畜どころか野生の動物すら見かけない。方角はまったく不明だが、案内車が先導してくれるので、5台の車が並んで走る。

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乾燥地の植物

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シニウス近くの丘の上

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シニウス近くの乾燥した大地

 やがて両側に山が見える丘に着いた。シニウスはもう近いとのことで、案内車はここから引き返すことになった。われわれは丘を南に下り、平原の灌木や草の中を走り、午後7時過ぎにシニウス村に着いた。この村から南のジランタイヘの道は舗装されていた。舗装された道を走っていると、まちがいなく目的地につけるような安心感が、まるで衣服のように全身を包み、幸福感さえ味わえた。

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シニウスの注油所

 まもなく砂漠地帯に入った。道は東にむかっていたが、やがて東南に、そして西へ、西南へ、南へ、東南へと続く。道がこのように建設されているのは、風によって川の水のように流れる砂をよけるためで、流れに逆らうとすぐに埋まってしまう。

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大きな砂丘

 夕暮れが迫り、大きな丘を登っていると、道が高さ10メートルもの大きな砂山に埋まって通れなかった。こうなると、近代的な土木機械でもなかなか歯が立たない。なんでも、一夜のうちに道を埋めてしまうそうだが、まるで猿カニ合戦の童話にある、木の臼が猿の上にどっかと乗っている絵を見るようで、自然の力が、砂をして人工の道をこらしめているような光景である。

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大きな砂山が一夜で動く

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風によって変化する砂地

 車は砂山を左に回って進んだ。やがて、電柱が砂に埋まって、電線が地につきそうな光景にも出会った。そして、標高1,600メートルの峠を越すと、南の方には夕陽に染まった砂丘か広かっていた。美しい光景だが、乾いた恐ろしい砂の世界である。

 日暮れ直後 2番目を走る孫君の車のフロントガラスが割れた。若い彼には、30メートル以上離れて走るよう何度も注意していたのだが、接近しすぎて前の車がはねた小石が当たったのだろう。取り替えは300キロも南の寧夏回族自冶区の区都銀川まで行かないと出来ない。その後はゆっくり走ったので 目的地のジランタイ(吉蘭泰)に着いたのは、夜の10時を過ぎていた。