内蒙古からチベット7000キロの旅➉ ラクダに乗って

 8月19日の早朝、招待所の庭から眺めると、パインハテは広い平原の中にあるが、かなたの四方に山があった。やはり山のある風景はやすらぎを覚える。山は大地に変化をもたらす絶対的な存在で、自然の豊かさや神秘、活力などを象徴しているようにすら感じられる。

 パインハテを9時に出発し、昨夕の雨上がりの青い空と緑の絨毯を敷きつめたような草原のそこかしこに白い羊の群が点在するのを眺めながら走った。

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パインハテからの道

 運転手兼ガイドの包さんはパインハテ出身の蒙古族で、このへんには親戚が多いとのことだった。彼は、昨夜のうちに親戚のラクダ飼いを訪れ、今日、ラクダの旅ができるように頼んでくれていた。

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山沿いの羊の群れ

 岩山の南麓にあるラクダ飼いの家には11時前に着いた。しかし、放し飼いのラクダの居場所がわからず、今朝からの捜索隊がまた帰っていなかった。蒙古の牧民たちは、大型家畜の馬や牛、ラクダなどは放し飼いするので、1週間も10日も、長い時には1ヵ月も居場所を確認しないままでいることがある。

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山麓ラクダ飼いの村

 正午には4人のラクダ捜索隊が東の方から馬を走らせて戻ってきたが、まだ見つかってはいなかった。主人のオルドンチャオルさん(40歳)は、午後には見つかるでしょうと、当たり前のごとく言った。彼らは、2時半頃から再び出発し、午前中とは違った南の方へ向かった。

 午後4時半ころ、急に南の方から雨雲が強い風とともにやってきて、雨が激しく降った。今日はもうだめかなと車の中から見ていると、5時半ころ、やみかけた雨の中に20頭ほどのラクダの群か近づいてきた。

 雨にぬれたラクダは、体毛がベタッとくっつき、だらしなく汚れて見えるので、見栄えのするものではない。しかし陽がさしてくると、毛か乾いてラクダらしくなった。

オルドンチャオルさんはすくに出発の準備にかかった。奥さんと娘、村人一人が手伝って、手ぎわよく4頭のラクダに次々と荷物をつけた。長い距離を追い立てられて戻ってきたせいか、扱いやすく、ラクダとのコミュニケーションがうまいのだろう、昨日のラクダのように飛んだり、跳ねたり、蹴ったりはしなかった。

 明日から3日間、このあたりの中心地であるウラード中旗で、蒙古族の祭りであるナダムがあり、彼ら一家も午後から参加するので、ラクダの旅は明日の正午までしかできないとのことで、遅くなったが、7時前に出発した。

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ラクダの上から見た平原

 オルドンチャオルさんと私は、鞍をつけたラクダにまたがった。彼は荷物をのせた四頭のラクダをひいてどんどん進む。ところが、私のラクダはなかなか想い通りに進んでくれない。

 出発前に、オルドンチャオルさんがラクダの御し方を教えてくれた。「スック」は座れ、「トル」は止まれ、「ショック」は行けである。方向はすべて鼻に通した小さな棒の先に結んだ手綱でやると教えられたが、実地訓練もなく、しかも昨日の暴れラクダを見ている。おそるおそる御しても、なかなか言うことを聞かない。乗り慣れていないので、少し早足になって落ちそうになると、やわらかいこぶの毛をつかむ。

 馬には乗り慣れているのだが、ラクダはこれまでに20分以上も乗ったことかないし、性質もよく知らない。何より、馬よりも長い顔で、ヘビのような目はなんとなく親しみ難い。「走らないように」「暴れないように」「噛みつかないように」と祈るような気持ちで乗っていた。

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平原にいた野鳥

 幸運なことに、乗る直前に追い返されて走っていたせいか、案外おとなしいラクダたちである。心配しながら一時間も乗っていると、なんとなく乗り方がわかってきた。しかし、背が馬の2倍も高く、落ちればどうなるかという不安は脳裏から離れない。

 ラクダの歩みは馬よりも速く、時速10キロくらいである。馬は近距離に強いが、ラクダは長距離に強く、少々の塩を与えておけば、二週間飲ます食わすでも生きられ、乾燥には強いので、長旅には最高に便利な家畜なのである。

 1時間半ほど進んで丘の上に止まった。ラクダから積み荷をおろし、それぞれの手綱を地面にしがみつくように生えている倭木(根は地下3~4メートルも伸びている)に1本ずつ結ぶ。放置しておくと、一夜で遠くまで行き、捜すのが大変なのである。

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夕日を受けて立つ私が乗った双こぶラク

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オルドンチャオルさんとラク

 緯度が高いので、夏の日没か遅く、9時頃まで明るかったが、太陽が紅く空を染めて地平線に没すると、急に風か強く吹き、雨も少々混じって冷えた。平原の中に張ったテントは一晩中風にゆれ、その音が暫く耳についていた。

 8月20日の朝は風があり、上空の雲にはなんとなく秋の気配かある。ここは標高1300メートル、緯度は北侮道の函館くらいだから、もう初秋なのかもしれない。

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標高1,300メートルでの野営の早朝

 朝食後、オルドンチャオルさんと2人でラクダに荷物をつけ、9時に出発した。今日は正午までに約15キロ西のウラード中旗に着く予定である。ラクダは昨日より乗りやすく 気分もよかったので、どんどん進んだ。

 途中、撮影のため二度休憩したので少々遅れ、11時すぎにウラード中旗の手前(東方)の小川に着いた。ラクダの旅はここまでの約束である。

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ラクダの旅が終わり、ラクダを連れて帰るオルドンチャオルさん

 昨夕からラクダを立たせること、進ませること、止めること、方向を思い通りにさせること、走らせることなどはできるようになっていた。しかし、乗ったままで前足を折って座らせることかまたどうしてもできなかった。なんとかやれるようにならなければと スック(ソックとも聞こえる)、スックと声をかけ、俺をなめてはいかんよと、少し強く手綱を下に引いた。3度目にやっと前足を折ってゆっくり体を沈め、後足も折って座ってくれた。

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ウラード中期への道

 無事に終わってみると、たいしたことではなく、あっという間のできことのようであった。親近感の持てなかった、とぼけたような長い顔にも、優しい表情か見える。2日間のお礼にと、ラクダが最も喜ふという、長い首の喉をさすってやると、うつろな目で宙を見上げ、嬉しそうな表情でじっとしていた。