内蒙古からチベット7000キロの旅⑥ 馬飼いの青年たち
オルンノールから20キロほど北のウータ(門)というところにいた、馬飼いのトルムトシンさん(30歳)兄弟に出会い、相談したところ、なんと、7家族の馬300頭を集めてくれた。
300頭の馬が草原を走り、それを扱う若者たちの機敏な動きを見ていると、まるで戦場のような騒動になった。雷鳴のように大地を踏み鳴らす蹄の音、驚きと興奮にかん高く鳴く馬の嘶き、そして馬を御し、追いやる人の声……。静かだった草原が、活気と騒音の渦と化し 土埃が舞いあがった。
人馬一体とよくいわれるが、馬にまたがる人間か馬を御さない限り、人馬一体にはなりえない。そのことを十分知っているからこそ、先祖代々の技と、自ら培った技を十分に使いこなしているのである。
疾走する馬に乗って馬群を追い、長さ5メートルもの、楊柳(ヤナギ)で作った捕馬竿(オルク)をもって馬を捕獲し、馬上から飛び下り、捕獲した馬の尻尾を持って振り倒す技や、地上に落としたオルクを走る馬上から手を差しのべて拾い上ける技などは、幼少年時代から長年培ってきた生きるための技である。彼らの行動、技すべてが、有史以来の北方騎馬民の知恵であり、生きざまであり、生活の様式なのだ。
約40分、人間と馬がともに生きる凄まじい光景をみた。大きな馬を扱う人びとが何ゆえに貴族であったのか、この死闘をくり返すような激しい行動をみて、小さくておとなしい羊を飼う人びととの違いを知ることによって納得できた。
彼らは、ひと仕事終えたような雰囲気で大地に半円をなして座った。額に汗し、スポーツの後と同じような表情には、喜びと活力がみなぎっでいた。
戦いのない今日では、武器や道具として価値の高い馬の必要性はほとんどない。しかし彼らは今も誇りに満ちている。だが、食肉として価値の高い羊飼いよりも、労多くして収入か少ない現状に、いささかの不満をもっている。平和な時代には馬の需要が少なく、売れないのである。
これは蒙古族にとって秘密の情報だが、漢民族の商人か車やオートバイ、テレビ等と馬を交換したり、安く買いたたいて大連に運び、そこでしはらく飼ってから、日本の九州地方へ輸出しているそうである。日本では禁止になった鯨肉の代りに馬肉がよく食べられるようになった。しかし、古来から、馬肉をめったに口にしない誇り高き蒙古族は、このことをまだ知らない。馬を武器とし、友として遇し、やむお得ないとき以外口にすることはなかった蒙古族にとっては、馬が食べられるために日本へ輸出されることは、哀しい情報であり現状である。