南端の町・瑞麗(2018年4月)雲南省

 標高2500メートルもある麗江から約700キロも離れた、標高900メートルの雲南省西南端の町瑞麗へ。大理経由で保山に1泊し、バスを乗り継いで2008年4月13日午後1時30分に、人口17万人の町瑞麗のバスセンターに着いた。そこからタクシーに乗り、「悦客来大酒店(ユエケイライホテル)」に2時に着いた。

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滞在したホテル「悦客来大酒店」

 瑞麗に来るまでに何度も交通警察の検査があり、その度にパスポートを見せたが、予約していなかったホテルでもパスポートを見せ、ここからどこへ行くのか、この街でどうするかなどをいろいろ尋ねられ、やっとのことで宿泊できることになった。

 瑞麗はミャンマーとの国境の町で、ここからミャンマーに入国する目的でやって来たのだが、ホテルの係員はミャンマーへは入国できないと言った。それを確かめるために6~7キロ離れた国境に行って見ることにした。

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国境に来た中国の若い観光客

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中国の新しい国境事務所前に立つ筆者

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麗江東側の中国人街地図

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中国側国境には中国の各地から来た観光客が多い

 午後3時半からタクシーに乗り、本来の国境である端麗江を渡って、ミャンマー側の中国地区に入った。国境の街には中国各地からの観光客が多かった。大きな立派な国境事務所があり、中に入って移民官にミャンマーへの出国を尋ねた。移民官は大変親切で、中国側の出国は良いが、ミャンマー側が受け入れてくれないのではないかとのことで、100メートル程離れたミャンマー側の事務所へ私を同行して、確認をとってくれた。

 私はミャンマーの入国ビザを東京のミャンマー大使館で取得していたが、ミャンマー側の係員がここは正式な国境ではないので、もし、私が入国すれば直ちに逮捕するとのことで、入国することはできなかった。

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ミヤンマーの国境事務所

 本来の国境は瑞麗江であったが、第2次世界大戦後に、中国が瑞麗江を東へ越して侵略し、現在の新しい国境としたが、ミャンマー側は承認していなかった。中国側は外国人がここから出国することを歓迎していたが、ミャンマー側は外国人がここから入国すると、国際的に国境を認めたことになるので、頑なに拒否していた。

 仕方なくこの後の4月15日に、約800キロも遠い昆明まで、長距離バスに12時間半も揺られて、窓外の景色を眺めながら戻った。

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ミヤンマー商品を買い漁る中国人とミヤンマー商品の多い国境商店街

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端麗の街で売られていた”油桃”と呼ばれる桃と開店祝い用の爆竹

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4月14日(土)、端麗の町は水かけ祭りであった。